独裁国家が様々な問題を押し隠し、偽善と欺瞞を振りまいた「スポーツの祭典」がようやく終わった。北京五輪で一番素晴らしかったのは「終わった」と言うことではないだろうか?
1936年のベルリン五輪では、ナチスドイツが国威発揚のためにオリンピックを最大限に利用した。五輪創始者のクーベルタンはこの五輪を支持していたとされるが、今回の北京五輪で、中華人民共和国が強調したのは「中国はいい人の国」だと言うことだろう。
何事も足して二で割る国、日本とは異なり、絶対的なトップダウンの国、中国は開会式、閉会式でその演出力、技術力の高さを見せつけた。
あたかも「こんな素晴らしい芸術を、独裁国家で作ることができると思う?中国はこんなに平和でいい国なんだよ」と言っているかのようだった。
しかし中国がにわかに「平和でいい国」になったわけではない。厳しい報道規制は敷かれていたし、少数民族への弾圧は巧妙に隠蔽されていたが、なくなったわけではない。
「平和の祭典」を挙行することで、中国は「怖くない国」と言うアピールを見事にやってのけたのだ。
IOCは「金儲けさえできれば何でもあり」の組織に成り下がり、中国の片棒を積極的に担いだ。
その姿勢は欧米の批判の的となったが、その筆鋒は鋭いとは言えなかった。各国のメディアが「北京五輪」を商売のタネにしたからだ。
今の五輪が、アメリカのNBCによって牛耳られているのは有名な話だが、日本のメディアも先を争って五輪の報道を行い、日本人選手の活躍を口を極めてほめそやした。他の欧米の国は、一方でウィグルの人権弾圧などを報じたが、日本は五輪期間中はほとんど中国批判をしなかった。
一方で五輪競技を報じ、一方でその主催国での問題を報じることは、何ら問題はないはずだが、頭の悪いネット民に配慮してか、中国から報道規制されることを恐れてか、批判の声はぐっと小さくなった。

オリンピズムの根本原則には、以下の条文がある
4.スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピック精神においては友情、 連帯、 フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。
6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。
この条文に照らせば、中華人民共和国に開催国になる資格はなかったと思われるが、国際社会は易々とこれを許し、中国をさらに増長させた。
中国は「欧米諸国の“民主主義”“人権意識”などちょろいものだ。札束で顔をはたけばすぐに軟化する」と思ったはずだ。特に日本は、憐憫の情で見られているのではないかと思う。
「スポーツと政治は関係ない。どんな国であれアスリートが活躍するのは素晴らしいことじゃないか。オリンピックの間だけは政治を忘れて応援しよう」
日本にはそういう人たちがたくさんいるだろうが、当の中国は五輪開催中も片時も「政治」を忘れることはない。五輪のすべての要素は「中国を有利にする」ことに資するためにある。中国にとってスポーツも、文化も、芸術も、すべて為政者、権力者のためにあるのだ。
2022年北京五輪は、恐らくは世界のさらなる混迷の契機になるだろう。歴史的には、ベルリン五輪と同様のスポーツ史の汚点になるのは間違いないと思う。
2021年山﨑福也、全登板成績
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あたかも「こんな素晴らしい芸術を、独裁国家で作ることができると思う?中国はこんなに平和でいい国なんだよ」と言っているかのようだった。
しかし中国がにわかに「平和でいい国」になったわけではない。厳しい報道規制は敷かれていたし、少数民族への弾圧は巧妙に隠蔽されていたが、なくなったわけではない。
「平和の祭典」を挙行することで、中国は「怖くない国」と言うアピールを見事にやってのけたのだ。
IOCは「金儲けさえできれば何でもあり」の組織に成り下がり、中国の片棒を積極的に担いだ。
その姿勢は欧米の批判の的となったが、その筆鋒は鋭いとは言えなかった。各国のメディアが「北京五輪」を商売のタネにしたからだ。
今の五輪が、アメリカのNBCによって牛耳られているのは有名な話だが、日本のメディアも先を争って五輪の報道を行い、日本人選手の活躍を口を極めてほめそやした。他の欧米の国は、一方でウィグルの人権弾圧などを報じたが、日本は五輪期間中はほとんど中国批判をしなかった。
一方で五輪競技を報じ、一方でその主催国での問題を報じることは、何ら問題はないはずだが、頭の悪いネット民に配慮してか、中国から報道規制されることを恐れてか、批判の声はぐっと小さくなった。

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4.スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピック精神においては友情、 連帯、 フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。
6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。
この条文に照らせば、中華人民共和国に開催国になる資格はなかったと思われるが、国際社会は易々とこれを許し、中国をさらに増長させた。
中国は「欧米諸国の“民主主義”“人権意識”などちょろいものだ。札束で顔をはたけばすぐに軟化する」と思ったはずだ。特に日本は、憐憫の情で見られているのではないかと思う。
「スポーツと政治は関係ない。どんな国であれアスリートが活躍するのは素晴らしいことじゃないか。オリンピックの間だけは政治を忘れて応援しよう」
日本にはそういう人たちがたくさんいるだろうが、当の中国は五輪開催中も片時も「政治」を忘れることはない。五輪のすべての要素は「中国を有利にする」ことに資するためにある。中国にとってスポーツも、文化も、芸術も、すべて為政者、権力者のためにあるのだ。
2022年北京五輪は、恐らくは世界のさらなる混迷の契機になるだろう。歴史的には、ベルリン五輪と同様のスポーツ史の汚点になるのは間違いないと思う。
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