昔、糸井重里の「萬流コピー塾」で「20世紀」みたいなお題があって入選作の一つが「戦争や平和」だったと記憶する。
トルストイの「戦争と平和」のパロディではあろう。昭和の終わりの時代だったが、その時点でも中東紛争はあったし、アフガニスタンにソ連が攻め込んでいた。湾岸戦争もやがて起こった。天安門事件も起こった。

こうした紛争がある一方、日本はバブルの最中で、私の月給は一気に7万円も上がったりした。地上げブームが起こり、人々は贅沢品を買いあさったりしていた。そういうことが同じ時期に起こっていたのだから、まさに「戦争や平和」だった。

しかし率直に言って我々にとって、世界の紛争は遠い世界の出来事だった。イスラム圏は何やら野蛮の人たちの国ように思えたし、共産圏は冷戦の時代から引き続き「違う世界」だった。野蛮そうなイスラム人と、違う世界の人々が争いをし、殺し合いをしている、という感じだった。

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今は様相が大きく変わっている。今、紛争が起こっているのはヨーロッパ大陸であり、自由主義圏に足を踏み入れようとするウクライナを、共産主義から「窯変」したロシアが引き戻そうとして侵略している。ロシアは日本にも恫喝をはじめ、昔と違って「遠い世界の出来事」ではなくなっている。ネット社会の進展もあって、他所事ではなくなっている。
日本が経済的に縮小し、社会も空気が暗くなっていることも、影響しているだろう。昭和の時代に比べて今の日本は、はるかに大きな「不安」を抱えている。

しかしながら、ニュースはウクライナ侵略のすぐ後に「では、今日の大谷翔平選手です」となる。アナウンサーは明るく声を張り上げ、大谷の活躍を大げさに褒めたたえるのだ。
多くの人が、後ろめたさを感じつつスポーツを楽しんでいる。背徳感を抱きながらスポーツを見ている。

そこへかぶせるように橋下徹のような人が「ロシアを非難するのなら、戦場に行けよ」などという。こうした声が背徳感を増幅させる。

でも、現実とはそんなものなのだ。「赤の他人の殺し合い」は傍観して、日々の生活を送るしかないのだ。我々はできる範囲で侵略者に「NO!」のアピールをするしかない。そして経済支援をするだけだ。それしかできないのだ。

今日は佐々木朗希の試合を観に行く。すごいパフォーマンスをすれば、レポートを編集に送ることになっている。その間も、ウクライナではむごたらしい人殺しが行われるだろうが、できることは、何もないのだ。



NOWAR


今だったら、初登板・初セーブ

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