3月22日に死去していたと言う。やや旧聞ではあるが、福本豊以前の名リードオフマンだったので取り上げたい。
京都出身、平安高校、立命館大から河合楽器を経て1966年2次ドラフトで阪急へ。

柴田勲、マッシ―村上と同世代。衣笠祥雄は高校の3学年後輩。

キャリアSTATS

Sakamoto-Toshizo


旧関西六大学を代表する遊撃手で、即戦力として1年目から山口富士雄と併用される。西本幸雄監督は、2年目は山口を二塁にコンバートして正遊撃手に。
以後4年連続ベストナイン、リーグを代表する遊撃手になる。また、69年には盗塁王。

ここから絶頂期をと言うときに、東映にトレードされる。1971年の日本シリーズで巨人、王貞治のサヨナラ本塁打につながる内野安打を許したのが原因だったと言う。山田久志が打たれたこのシーンは強烈に印象に残っている。しかし1プレーでレギュラー選手がトレードされるのは、あまり見たことがない。

東映の大橋穣、種茂雅之とのトレードで、阪本は岡村浩二、佐々木誠吾とともに東映に。
このトレードは阪急にとって大成功だったとされる。大橋は抜群の守備力で、翌年から5年連続ベストナイン、7年連続ダイヤモンドグラブ。阪急の黄金時代はこのトレードが契機だったとされる。

ただ私はこの当時から大橋は過大評価されているような気がしていた。打者としての大橋は2割そこそこで盗塁も少なく、8番しか打てない打者だったからだ。打者としては阪本の方が遥かに上だった。

しかし阪急には阪本に入れ替わって不世出のリードオフマン、福本豊が登場したため、阪本の穴を感じることはなかった。

阪急を出てからの阪本は73年には三塁、さらに二塁にコンバートされ、近鉄、南海と渡り歩いた。

確かに失策数は多かったが、あのトレードがなければ、1500安打は達成できたのではないか。




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阪本敏三、全本塁打一覧|本塁打大全

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