1965年と言う年は、巨人のV9が始まった年だ。この年10月にNPBでドラフトが始まった。MLBでもこの年6月にドラフト制度を導入した。
ドラフト制度そのものは、1936年にNFLで始まったとされる。アメリカのプロスポーツは、その実質的な開祖であるMLBをはじめ、ほとんどが「クローズドリーグ」になっている。弱いチームでも脱落することはない。自由に選手を獲得できる状態を放置すると、強いチームと弱いチームが固定され、ペナントレースの興味が失われてしまう。
そこで戦力均衡をはかるべくドラフト制度が導入されたのだ。
それによってMLBでは圧倒的に強かったヤンキースが弱くなり、リーグの戦力均衡が進んだ。
NPBでは当時「巨人とそれ以外のセ球団、さらに外側のパ球団」と言う状態だった。日本屈指のメディアグループを背景とした巨人が圧倒的に人気があり、実力でもずば抜けていた。セ・リーグ球団は巨人戦の「放映権収入」の恩恵を受けていたが、パ・リーグ球団はそれもなく、親会社の支援で辛うじて命脈を保っていた。
高度経済成長期の日本では「みんなと同じことができる」ことが、豊かさの証明であり、関東のみならず全国の人々が「巨人ファン」になった。それで満足していたのだ。
しかし1970年代以降、社会が成熟するとともに日本人も「多様な嗜好」を持つようになった。趣味も様々に広がった。この時代に馬鹿の一つ覚えのように「野球と言えば巨人」では、ファンは離れていったはずだ。
1973年に巨人のV9が途切れてから、セでは広島、ヤクルトと初優勝するチームが出てきた。パ・リーグも南海、西鉄が優勝を寡占していたが、阪急、日本ハムなども強くなった。
この時期に「プロ野球ニュース」も始まり、「巨人ファン」ではなく「野球ファン」が増加して、日本のプロ野球は新しいフェーズになったのだ。
もし、ドラフト制度がなく、以後もずっと「巨人1強」が続けば、多様な趣味、嗜好を持つようになった日本人は、プロ野球から離れていったのではないか。12球団が維持できなくなって縮小した可能性もあるだろう。
1990年代に入ってJリーグができて、プロ野球人気は陰りが見え始めたが、この時期までに巨人の相対的な人気、実力が衰えて、戦力均衡が進んでいた。
そういう意味で、ドラフト制度が、日本プロ野球の変容に果たした役割は大きい。


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しかし1970年代以降、社会が成熟するとともに日本人も「多様な嗜好」を持つようになった。趣味も様々に広がった。この時代に馬鹿の一つ覚えのように「野球と言えば巨人」では、ファンは離れていったはずだ。
1973年に巨人のV9が途切れてから、セでは広島、ヤクルトと初優勝するチームが出てきた。パ・リーグも南海、西鉄が優勝を寡占していたが、阪急、日本ハムなども強くなった。
この時期に「プロ野球ニュース」も始まり、「巨人ファン」ではなく「野球ファン」が増加して、日本のプロ野球は新しいフェーズになったのだ。
もし、ドラフト制度がなく、以後もずっと「巨人1強」が続けば、多様な趣味、嗜好を持つようになった日本人は、プロ野球から離れていったのではないか。12球団が維持できなくなって縮小した可能性もあるだろう。
1990年代に入ってJリーグができて、プロ野球人気は陰りが見え始めたが、この時期までに巨人の相対的な人気、実力が衰えて、戦力均衡が進んでいた。
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