前のブログで書いたが、日本では「メンバーを試合にださないこと」があたかも「まっとうな理屈」であるかのようになっている。スポーツは「出来る子」だけのものになっているのだ。
82歳の少年野球指導者のおばちゃんは、120人もの子供の面倒を見ているそうだが、おそらく試合に出るのはその5分の1くらいだろう。ただで指導しているわけではなさそうだから、月謝を取っているのだろうが、多くの子は月謝を払って練習や声出しだけをやっている。「僕は試合に出んでもええねん、練習して球拾いだけしてたらええねん」と言う子はほとんどいないだろうから、みんな試合に出たがっている。しかし試合に出る機会がほとんど回ってこない子も多い。
セルジオ越後は、こうした日本スポーツのエリート主義について「出来る子だけが、授業を受けることができて、できない子は教室の外から窓越しに授業を覗いている」と言った。
あるいは「出来ない子は、勉強だけはするが、試験は受けさせない」という状態かもしれない。
子どものスポーツは「教育」だとされる。だとすれば「教育の機会均等」が保障されていない状態だと言えるのではないか。
日本のスポーツがこうなっているのは、その原初に「オリンピック」があるからだろう。オリンピック大会に出場するために、優秀なアスリートを見つけ出して育成しなければならない。そのために全国の学校でスポーツを始めて「出来る子」を見つける取り組みがスタートした。これが日本スポーツの始まりだ。
日本で「Player」を「選手」と訳すのは、日本スポーツの貧しい体質を象徴している。

逆に言えば「出来ない子」「へたくそな子」は、スポーツをする資格がない。あるいは「試合」に出る資格がない。試合に出たければ、努力を重ねてレギュラー選手に追いつかなければならない。その「努力の過程」がスポーツであり、試合に出るために努力する非選手を叱咤激励し、指導するのが「指導者」だとされているのだ。
そして「試合」は勝つためだけにある。勝たなければ、試合をする意味はない。負けたものはその悔しさを胸にさらに努力をして雪辱を期すべきだ。
結局、勝てなかったもの、試合に出られなかったものは、スポーツをあきらめる。スポーツをやめていく。それが日本のスポーツの「風景」のようだ。
こんな風土では「生涯スポーツ」が根付かない。日本にもシニアスポーツや草野球など、楽しむスポーツもあるにはあるが、こうした競技は「単なる遊び」とみなされ、競技スポーツに比べればはるかにステイタスが低いとされる。
しかし国民の大部分が参加できる「楽しむスポーツ」の方が、ごく一握りの人しか参加できない「競技スポーツ」「エリートスポーツ」より価値が低いというのはおかしいのではないか?
オリンピックのためなら「兆」の桁の税金を投じて環境整備をするが、お年寄りが体を動かす施設や、子供たちが遊ぶことができる「公園」「空き地」に金をかけることはしない。
日本スポーツ風景が貧しいのは、100年ちょっと前にスポーツをもたらした人たちの「ボタンの掛け違え」に端を発している。そして人を差別したい、優越感を感じたいというつまらない大人たちが、その仕組みに乗って日本スポーツをゆがんだ姿にしたと言えるだろう。

1982・83年松沼博久、全登板成績
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あるいは「出来ない子は、勉強だけはするが、試験は受けさせない」という状態かもしれない。
子どものスポーツは「教育」だとされる。だとすれば「教育の機会均等」が保障されていない状態だと言えるのではないか。
日本のスポーツがこうなっているのは、その原初に「オリンピック」があるからだろう。オリンピック大会に出場するために、優秀なアスリートを見つけ出して育成しなければならない。そのために全国の学校でスポーツを始めて「出来る子」を見つける取り組みがスタートした。これが日本スポーツの始まりだ。
日本で「Player」を「選手」と訳すのは、日本スポーツの貧しい体質を象徴している。

逆に言えば「出来ない子」「へたくそな子」は、スポーツをする資格がない。あるいは「試合」に出る資格がない。試合に出たければ、努力を重ねてレギュラー選手に追いつかなければならない。その「努力の過程」がスポーツであり、試合に出るために努力する非選手を叱咤激励し、指導するのが「指導者」だとされているのだ。
そして「試合」は勝つためだけにある。勝たなければ、試合をする意味はない。負けたものはその悔しさを胸にさらに努力をして雪辱を期すべきだ。
結局、勝てなかったもの、試合に出られなかったものは、スポーツをあきらめる。スポーツをやめていく。それが日本のスポーツの「風景」のようだ。
こんな風土では「生涯スポーツ」が根付かない。日本にもシニアスポーツや草野球など、楽しむスポーツもあるにはあるが、こうした競技は「単なる遊び」とみなされ、競技スポーツに比べればはるかにステイタスが低いとされる。
しかし国民の大部分が参加できる「楽しむスポーツ」の方が、ごく一握りの人しか参加できない「競技スポーツ」「エリートスポーツ」より価値が低いというのはおかしいのではないか?
オリンピックのためなら「兆」の桁の税金を投じて環境整備をするが、お年寄りが体を動かす施設や、子供たちが遊ぶことができる「公園」「空き地」に金をかけることはしない。
日本スポーツ風景が貧しいのは、100年ちょっと前にスポーツをもたらした人たちの「ボタンの掛け違え」に端を発している。そして人を差別したい、優越感を感じたいというつまらない大人たちが、その仕組みに乗って日本スポーツをゆがんだ姿にしたと言えるだろう。

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コメント
コメント一覧
海外でも事情は変わらないと思うが?
野球も同じ事すればいいだけ。
青少年スポーツで、試合に出られない選手を山ほど抱えるのは日本だけです。他の国では、試合に出られないと分かれば、選手はさっさとやめます。だから常にトライアウトが行われています。
試合に出られない子がいるという現実はあると思いますが、一方で120人いる少年野球チームの話は全学年あわせて120人ですので、当然学年ごと(低中高など)で試合を行う際には試合に出られるでしょうし、月謝の話も推測で全く根拠がないと感じました。
これ記事じゃなくてブログなんです。最近、Googleで記事と一緒に出るようになって新しい読者が来るようになったのはうれしいですが、あなたみたいな人もいるんでね。読まないほうがいいんじゃないですか?
>当然学年ごと(低中高など)で試合を行う際には試合に出られるでしょうし
あなたも推測ですよね。
今の新しい少年野球では、入団するときに「年間最低何試合出場保証」みたいなのを確約しています。82歳のおばちゃんの少年野球は昭和のままです。私も関西なので情報は入ってきますが。
できる人を「選手」として見つけることがベースになっていた、というのは思い返してみても納得できますね。
学校の体育は大嫌いでしたが、大人になってスポーツクラブで体を動かすのは楽しかったことから、この違いは何だろうともやもやしてました。
生涯スポーツが根付かないこともこれらのことに一因があるのでは。
なるほどですね。
1チーム100人超えやスタンド応援組とかって文化は海外でも一般的にあるんですかね。疑問形で申し訳ないが。
HNは?
基本的にはないです。日本だけです。
こうやると早く走れる
とか
逆上がりが出来るための
とか見ると、なんで学校の体育でこういったことを教えてもらえなかったんだろうと もやっとした事を思い出します。
まぁ、プレバトで、水彩画の重ね塗りとか 色鉛筆画の色の重ね合わせなんかを見ても、図画工作の時間にこういう事を教えてもらえていればと 思うんですがね・・・
できる子(だけ)を伸ばす方向なのは、体育だけではないように思えます。
恐らく、子供達を相手にスポーツの指導に長く着かれた経験はない方と思います。
120人試合に出すことが可能ですか?
練習密度の違う子供は、どちらかを立てれば必ず反対の子供側に不満が出ます。
子供の指導に携わる人は様々な葛藤を抱えながら子供のためにやっています。
貴方の言う全員が試合に出れる方法で全員の満足度が高い方法があればぜひ教えて下さい。
ブログなので想いを書くことは自由ですが、批判が入れば主さんも気持ちが良くないでしょう。
サーチされない設定もあると思いますよ。
お隣の韓国では中学生時点でスポーツ得意な子供とそれ以外を選抜して、普通の高校生では体育の授業が無いらしい、スポーツの得意な子はプロ予備軍として別枠で扱われる、と聞いた事がある。
それに比べれば、高校生でも体育がある日本はまだマシでしょう。
教育体制の問題ではない。スポーツチームの育成の問題。
学校に体育の授業がある国の方が、世界でははるかに少数派。学校体育の問題はまた別です。
ちなみに韓国の高校野球は、受験なし、高校の野球の実績だけで大学野球部に進学するので、日本とは全然違っている。しかし韓国の高校野球では厳しい球数制限もしているし、木製バットを使っているし、試合出場も保証されている。
日本のクラブチームの問題は全く別の問題ですが。
日本は外国よりましって言いたかったのでしょうが、少年野球の指導法はかなりひどいもんです。
目先の勝利を求めるあまり、小技だのエラーしない守備だのこぢんまりしたようになることを押し付ける一方、4番には長打を期待したことをさせる…。。。
もちろん選手側の「生き残りの手段」としてそういう「工夫」をするのは大事ですが…。。。
日本のスポーツ界に不足してるのはむしろ大人の社会人チーム。高校や大学卒業でスポーツからも卒業する人が多いからチームが少ないのか、チームが少ないから皆でやめるのかはわからんけど。
6年からは「ピッチスマート」を勝手に個人的に適応させていただいています。が、当然険悪な雰囲気です、、、
彼は他のある子について「あいつはいくら投げても大丈夫だから」と臆面もなくおっしゃいます。
未だにこういう野球チームって開かれているようで極めて閉鎖的な空間。
冗談じゃなく子供が週末連投させられそうな時は父が夜眠れない日もありました。(笑)
彼らがあくまでほぼボランティアで自らを犠牲にして貢献していくれているのはありがたいんですけどね・・・
日本の野球指導者は、指導対象年齢が下がるほど、レベルが低くなっています。本当は小さな子供を指導する指導者の方が責任も重大で、知識が必要なはずですが。
あなたと同じような問題意識を持っておられる方は、全国にたくさんいると思います。