Google様のアルゴリズムが変わったのだと思うが、最近、新しい読者が増えた。このブログはまる13年を過ぎて14年になろうとしているが、最近になってお読みいただく読者が増えたようだ。
それとともに「野球やったことないくせに」と言う人がちらほら見えるようになった。10年ほど前にはたくさんいたから懐かしい感じがするし、未だにそんなこと言ってるのかとも思う。

「江夏の21球」と言うドキュメントは文春の「Number」という雑誌を屈指のスポーツメディアに押し上げた金字塔のようなドキュメントだが、江本孟紀はこれを「野球をやったことがないのが、一発で分かる」と蔑んだ。

このドキュメントが出たのは1979年、当時はファン層の変化は起こってはいたが、まだ基本は「解説ができるのは野球選手上がりだけ」と言う時代で、実況アナはプロ野球上がりの解説者の「ありがたい解説」を押し頂いていた。
この頃、野球上がり以外で野球のことを言っていたのは、新聞記者、雑誌記者だったが、彼らは選手解説者に話を聞いてそれを掲載しているだけだった。自分の意見や独自の分析をしている人は少なかった。
当時からNumberで健筆をふるっていた玉木正之さんは、野球人のふるまいを無視していろいろ書いたから、巨人から出禁を食らった。玉木さんも「野球をやったことがない」ライターだった。

宇佐美徹也さんは当時から記録の記事や本を書いていたが、野球界では端っこと言う印象だった。「野球をやったこともない奴が、数字をこねくり回して変なこと言っている」と言う感じか。

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それでも昭和中期まではそれでよかったのだ。当時の野球はナショナルパスタイムで、みんな巨人ファンで、スター選手が好きで、野球の見方も同じだった。だからワンパターンの解説で満足していたのだ。解説者は、選手に先輩風を吹かせつつ百年一日がごときつまらない解説をしていた。

しかし巨人V9が終わって長嶋茂雄が引退したころから、巨人一辺倒の野球ファンの多様化が始まった。広島、ヤクルトと弱小球団が初優勝し、パの西武が黄金期を迎えるに至って、プロ野球人気は大きく変質した。

この時期に多くの支持を受けたのが「プロ野球ニュース」だ。佐々木信也は湘南高時代甲子園で優勝し、慶応義塾大でもキャプテンだったスター選手だが、引退後、解説者になってからは選手にインタビューしたり、その日の天候を調べたり、データを調べるなど新しい解説を行った。「プロ野球ニュース」のMCになると、野球の様々な魅力を伝え始めた。彼は野球選手上がりだったが、そのことに安住することはなかった。今も時々電話をいただくが、頭の柔らかさは変わっていない。

「プロ野球ニュース」以降、日本の野球ファンの野球の見方は変わった。誰かが言っていたからではなく、自分の好みでチームを選び、選手を選ぶ。そんなファンの進化に「野球をやっていた」だけの解説者や専門家はついていけなくなっていったのだ。



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1982・83年松沼博久、全登板成績

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コメント

コメント一覧

    • ボラーチョ
    • 2022年12月09日 10:52
    • 当時パ・リーグの選手をテレビで見ることができたのはオールスターか日本シリーズだけだったのでプロ野球ニュースは画期的でした
      佐々木信也が元選手だとは知らずア、ナウンサーだとずっと思ってました
    • 広尾 晃
    • 2022年12月09日 12:16
    • ボラーチョさん

      佐々木信也さんは選手引退後、発声練習もしていたそうです。他の凡百の評論家とはモノが違います。
    • ボラーチョ
    • 2022年12月09日 14:52
    • しゃべりも佇まいもスマートなのに元選手と知って、さらに好感度が上がった記憶あります
    • のぶ。
    • 2022年12月10日 00:43
    • 佐々木信也さん、もう90近いのにまだご健勝とのこと、何よりです。
      新人最多安打記録は、多分破られることはないでしょう。
      確かに、ファンが野球を見る視点を変えてくれた人だと思います!
    • 広尾 晃
    • 2022年12月10日 07:47
    • のぶ。さん

      横浜のご自宅からZoZoマリンまで、マイカーで行かれるそうです。
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