今季、ヤクルトの木澤尚文が、先発登板なしで9勝を挙げた。これはサイスニードと並ぶチームの最多勝タイ。一度も先発せずに、上げた勝ち星としては誰が最多勝なのか調べた。
9勝以上は37人いた。

最多勝は1985年の近鉄石本貴昭、なんと19勝。近鉄は先発の最多勝が村田辰美の9勝だから、石本がダントツの勝ち頭だった。こういうのエースと言うのだろうか?岡本伊佐美監督は救援投手をよく使った指揮官だったと言う印象だ。石本は規定投球回数に達して防御率5位。
2位の1988年伊東昭光は、18勝で最多勝。この年のヤクルトも先発の最多勝は尾花高夫の9勝。尾花は16敗で最多敗だった。
防御率1位が1975年の安仁屋宗八。12勝を挙げて防御率1.91でタイトルを獲得した。この年の安仁屋は救援投手として最多の140.2回を投げている。1登板当たり2イニング以上投げていた。
先発ナシで9勝を挙げたのは、1972年の星野仙一が初めて。まだセーブ制度も導入されていない時代で、ほとんど注目されなかった。星野仙一は通算500登板の内、救援が257試合。実は救援投手だった。ただし先発0のシーズンはこの年だけ。
江夏豊は1979年、80年と救援だけで連続9勝。1979年はMVPを獲得している。
直近は9年前、まだ西武時代のサファテが9勝を挙げている。
木澤の9勝は、救援投手の起用が小刻みになった今となっては、かなり珍しい記録だ。1試合当たり1.3回ほど投げているので、消耗が気になるところ。
あさって、慶應高校の森林先生の記事をNumber Webに出すが、木澤は愛弟子。学生コーチと一緒に投球を探求するなど、熱心な選手だったと言う。


1982・83年松沼博久、全登板成績
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最多勝は1985年の近鉄石本貴昭、なんと19勝。近鉄は先発の最多勝が村田辰美の9勝だから、石本がダントツの勝ち頭だった。こういうのエースと言うのだろうか?岡本伊佐美監督は救援投手をよく使った指揮官だったと言う印象だ。石本は規定投球回数に達して防御率5位。
2位の1988年伊東昭光は、18勝で最多勝。この年のヤクルトも先発の最多勝は尾花高夫の9勝。尾花は16敗で最多敗だった。
防御率1位が1975年の安仁屋宗八。12勝を挙げて防御率1.91でタイトルを獲得した。この年の安仁屋は救援投手として最多の140.2回を投げている。1登板当たり2イニング以上投げていた。
先発ナシで9勝を挙げたのは、1972年の星野仙一が初めて。まだセーブ制度も導入されていない時代で、ほとんど注目されなかった。星野仙一は通算500登板の内、救援が257試合。実は救援投手だった。ただし先発0のシーズンはこの年だけ。
江夏豊は1979年、80年と救援だけで連続9勝。1979年はMVPを獲得している。
直近は9年前、まだ西武時代のサファテが9勝を挙げている。
木澤の9勝は、救援投手の起用が小刻みになった今となっては、かなり珍しい記録だ。1試合当たり1.3回ほど投げているので、消耗が気になるところ。
あさって、慶應高校の森林先生の記事をNumber Webに出すが、木澤は愛弟子。学生コーチと一緒に投球を探求するなど、熱心な選手だったと言う。


1982・83年松沼博久、全登板成績
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コメント
コメント一覧
救援のみで20勝だと思っていました。
そんなにすごい球を投げているわけではないのに抑えていて、もう少しで最多勝も取れそうでした
>こういうのをえーすというのだろうか
昔は「リリーフエース」という言葉がありませんでしたか?
私が野球を見始めた昭和の終わりから平成一桁くらいまではリリーフ投手で2桁挙げる投手がけっこういました。(数回先発しているためにこの表に入らない投手が結構いる気がします)
リリーフ投手が複数回投げるのが当たり前だった時代を思い出して懐かしい表ですね。
14勝負けなしだったのに、最後の最後で引退する山本カズに打たれて痛恨の敗戦でしたね。
一気に思い出しました。いつもいい記事をありがとうございます。
とりわけ、日ハム時代の97年は、先発一度だけの65登板で9勝はともかく、147イニングを投げ規定投球回をクリア。こんな投手そしてこんな起用法はもう二度とないでしょうし、これだけ酷使されたのち阪神でローテで何年も活躍したのは凄い。