72歳になる。昭和野球後期に活躍した選手たちだ。
早生まれ、9人いる。

1951早


偶然にも投手はなし。ビル・マドロックはカブスで2回、パイレーツで2回首位打者になり、通算2008安打、通算打率.305という大打者。1988年に37歳でロッテに来たときは興奮したが、迫力はなかった。マッドドックと言われ、性格的に難があったと言う。



大田卓司はDHができて、出世がかなった選手。西武の中軸を打ち、勝負強かった。



4月から12月末まで。60人。

1951


谷岡潔は「鼻血ブー」の谷岡ヤスジのいとこ。

藤波行雄は1974年、わずか130打席に立っただけで新人王になった。期待はされたが大した実績は残さず。



木下富雄は内野のユーティリティー。強くなった広島の脇役。8年程前にこの人の店で、長谷川晶一さんや村瀬秀信さんなどと飲んだことがある。



新浦壽夫は高校中退してプロ入りした最後の世代だろう。切れ味の良い左腕だったが、韓国でも投げた。



仁科時成はロッテのサブマリン。フォームは美しかった。



マルカーノと言えば阪急の二塁手。若死にしたのが痛ましい。



こんにゃく打法の八重樫は大矢と燕の正捕手争いをした。長く現役をつとめた。



トマソンは「なぜ存在しているのかわからない」として「トマソン現象」という言葉を生んだ。本人には失礼だが。



栗橋茂、近鉄の中軸打者。そういやこの世代は近鉄の主力が多い。西本幸雄に怒鳴られた世代だ。



いや、この時代の選手は大した実績を残していない選手まで、いっぱい言いたいことがある。きりがない。エピソードは読者各位が想像していただきたい。
柳田豊は近鉄のサブマリン。「ニャロメ」というあだ名。柳田悠岐の遠縁だと言う。



ただ彼は「ギータ」ではなく「ぎだ」だが?
有田修三。有田と梨田、打てる正捕手2枚は近鉄の看板だった。

スティーブ・オンティベロスもMLBでレギュラーだった強打者。西武でも活躍した。



河埜和正は外せない。八幡浜出身、弟の敬幸も名内野手になった。スター千一夜にやたら何度も出演していたのを思い出す。あのスナップスローは目に焼き付いている。



山本功児。「こらー、にせもの!」広島球場でやじられた。王貞治の影武者だったがロッテでレギュラーに。左の中距離打者だったが早くに死んだ。倅の山本武白志はDeNAに入るも出世せず。




NOWAR


1960~62年柿本実、全登板成績

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!

コメント

コメントフォーム
記事の評価
  • リセット
  • リセット