「入来」と言う姓は南九州特有だ。薩摩の入来院に端を発し、島津氏との抗争をへて臣下になっている。入来智、祐作の兄弟も宮崎県都城市の出身だ。
入来智は鹿児島実業、三菱自動車水島から1989年、ドラフト6位で近鉄に入団。
キャリアSTATS

先発救援で活躍する。1996年に吉本亮とのトレードで広島に移籍するが、オフにまた吉本とのトレードで近鉄に帰って来る。非常に珍しいケースだ。
1999年に巨人に移籍、さらに2001年にヤクルトに移籍し、この年キャリアハイの10勝を挙げオールスターに、弟の佑作も選出されており、リレー投球が実現する。
しかし翌年、1勝に終わると戦力外通告を受けた。以後、KBO、CPBLで投げたのちに引退した。
端的に言えば「やんちゃ」な投手であり、金銭トラブルなどでニュースになることもあり、球団としては扱いにくい選手のようだった。身体は大きくなかったが、ダイナミックなフォームで投げた。
そういう意味では実力を十分に発揮することなく終わった選手と言えよう。
引退後はNPBや野球とは関わることなく、転職を重ねたのち実家に戻り、父親の面倒を見ながら介護職の仕事を続けていて事故に遭ったと言う。
5歳下の弟の入来祐作のキャリアSTATSも紹介する

PL学園、亜細亜大、本田技研を経てドラフト1位、逆指名で巨人に入団。兄よりも評価は高かった。即戦力の中継ぎ投手として2年目から活躍。2001年には先発投手として最高勝率のタイトルを獲得、オールスターにも出場し兄と共演。2003年右足の肉離れで戦線離脱。このオフにトレードで日本ハムに移籍。
しかしパッとせず、2006年ポスティングでの移籍を目指すが応札する球団はなく、その後メッツに入団が決まる。しかし40人枠に入ることはできず、マイナー契約となり、メジャー昇格はならなかった。
横浜に復帰後引退。用具係になる。私はこの時期、話を聞いたことがある。2021年からオリックスのコーチになった。兄を見ていたからか、弟はまじめでNPBでの仕事を続けている。
プロ野球選手が現役を引退してからの人生は、往々にして厳しいものになりがちだ。社会勉強が少なく、規範意識が乏しいままに社会に放り出されて苦労する人も多い。私は何人かそういう選手の話を聞いてきたが、入来兄は、その典型の一人かもしれない。

1960~62年柿本実、全登板成績
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先発救援で活躍する。1996年に吉本亮とのトレードで広島に移籍するが、オフにまた吉本とのトレードで近鉄に帰って来る。非常に珍しいケースだ。
1999年に巨人に移籍、さらに2001年にヤクルトに移籍し、この年キャリアハイの10勝を挙げオールスターに、弟の佑作も選出されており、リレー投球が実現する。
しかし翌年、1勝に終わると戦力外通告を受けた。以後、KBO、CPBLで投げたのちに引退した。
端的に言えば「やんちゃ」な投手であり、金銭トラブルなどでニュースになることもあり、球団としては扱いにくい選手のようだった。身体は大きくなかったが、ダイナミックなフォームで投げた。
そういう意味では実力を十分に発揮することなく終わった選手と言えよう。
引退後はNPBや野球とは関わることなく、転職を重ねたのち実家に戻り、父親の面倒を見ながら介護職の仕事を続けていて事故に遭ったと言う。
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PL学園、亜細亜大、本田技研を経てドラフト1位、逆指名で巨人に入団。兄よりも評価は高かった。即戦力の中継ぎ投手として2年目から活躍。2001年には先発投手として最高勝率のタイトルを獲得、オールスターにも出場し兄と共演。2003年右足の肉離れで戦線離脱。このオフにトレードで日本ハムに移籍。
しかしパッとせず、2006年ポスティングでの移籍を目指すが応札する球団はなく、その後メッツに入団が決まる。しかし40人枠に入ることはできず、マイナー契約となり、メジャー昇格はならなかった。
横浜に復帰後引退。用具係になる。私はこの時期、話を聞いたことがある。2021年からオリックスのコーチになった。兄を見ていたからか、弟はまじめでNPBでの仕事を続けている。
プロ野球選手が現役を引退してからの人生は、往々にして厳しいものになりがちだ。社会勉強が少なく、規範意識が乏しいままに社会に放り出されて苦労する人も多い。私は何人かそういう選手の話を聞いてきたが、入来兄は、その典型の一人かもしれない。

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