セ・リーグのビジネスモデルの崩壊は『野球がテレビ的にオワコンになる兆しが出た」タイミングで始まった。
プロ野球中継(巨人戦ナイター)の平均視聴率は1983年の27.3%を最高として1999年まで20%台をキープしていた。今ならお化け番組のレベルだ。しかしここから急速に落ち込んで2006年には9.6%にまで落ち込む。ちなみに今は巨人戦に拘わらず地上波野球中継の視聴率は7%前後。
そして2006年以降、これまで全試合中継をしてきた巨人戦が、地上波から姿を消していく。しかし当時のセ・リーグ球団は、それほど危機感を抱いてはいなかった。

一方ビジネスモデルを構築できないまま、実に50年以上も球団を維持してきたパ・リーグでは、親会社がどんどん変わり、1988年には南海がダイエー、阪急がオリックスになり、1リーグ時代以来の老舗球団はなくなった。
さらに21世紀に入って、選手の年俸が高騰したこともあり、経営を維持できなくなる球団が出てきた。
近鉄、ロッテなどがそれだ。2004年、近鉄はオリックスとの合併を画策。ロッテも西武との合併を模索する。パ・リーグ側は合併によって4球団になるとともに、セに合流して1リーグ10球団制になることを考え、巨人、渡邉恒雄オーナーに相談を持ち掛けた。
ナベツネはこれを承諾、巨人を盟主とする1リーグへ向けたビジネスモデルを構想した。
これは10球団が15~16試合総当たりでペナントレースを展開すると言うものだったが、これに巨人以外のセ・リーグ球団が猛反対した。そうなると巨人戦の主催試合が、2004年の14試合から7~8試合に減ってしまう。それは球団経営上、深刻な影響がある。パ・リーグは巨人戦ができるのだから、当然ながら大歓迎した。
「球界再編」は、巨人+パ・リーグ対巨人以外のセ・リーグ球団という対立構図となったが、選手会がストライキを挙行、世論もこれを支持し、球界再編はとん挫。近鉄とオリックスは合併したが、新たに楽天が新球団を創設し、セ・パ両リーグ12球団の体制が維持された。
2005年は前年通り、セ・パ12球団でペナントレースが行われたが、パ側の要望で「交流戦」が実施された。また、この年からホークスはダイエーからソフトバンクに身売りされた。前年には日本ハムが北海道に移転したが、新球団楽天も含めたパの3球団が「ボールパーク構想」を打ちだし、新たなビジネスモデルを構築し始めたのだ。
もし巨人を盟主とした1リーグが成立していれば、放映権ビジネスが崩壊する中で、プロ野球は再浮上できただろうか?対戦カードは減り、球団の放映権依存体質が残る中で、プロ野球は衰退していた可能性もあるだろう。

MLBの歴史では何度もドラスティックな改革が行われたが、NPBの歴史では2004年の「球界再編」だけだ。この大改革によって、日本の「ナショナルパスタイム」プロ野球は息を吹き返したのだ。
本当にすごいことだったと思う。
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1960~62年柿本実、全登板成績
そして2006年以降、これまで全試合中継をしてきた巨人戦が、地上波から姿を消していく。しかし当時のセ・リーグ球団は、それほど危機感を抱いてはいなかった。

一方ビジネスモデルを構築できないまま、実に50年以上も球団を維持してきたパ・リーグでは、親会社がどんどん変わり、1988年には南海がダイエー、阪急がオリックスになり、1リーグ時代以来の老舗球団はなくなった。
さらに21世紀に入って、選手の年俸が高騰したこともあり、経営を維持できなくなる球団が出てきた。
近鉄、ロッテなどがそれだ。2004年、近鉄はオリックスとの合併を画策。ロッテも西武との合併を模索する。パ・リーグ側は合併によって4球団になるとともに、セに合流して1リーグ10球団制になることを考え、巨人、渡邉恒雄オーナーに相談を持ち掛けた。
ナベツネはこれを承諾、巨人を盟主とする1リーグへ向けたビジネスモデルを構想した。
これは10球団が15~16試合総当たりでペナントレースを展開すると言うものだったが、これに巨人以外のセ・リーグ球団が猛反対した。そうなると巨人戦の主催試合が、2004年の14試合から7~8試合に減ってしまう。それは球団経営上、深刻な影響がある。パ・リーグは巨人戦ができるのだから、当然ながら大歓迎した。
「球界再編」は、巨人+パ・リーグ対巨人以外のセ・リーグ球団という対立構図となったが、選手会がストライキを挙行、世論もこれを支持し、球界再編はとん挫。近鉄とオリックスは合併したが、新たに楽天が新球団を創設し、セ・パ両リーグ12球団の体制が維持された。
2005年は前年通り、セ・パ12球団でペナントレースが行われたが、パ側の要望で「交流戦」が実施された。また、この年からホークスはダイエーからソフトバンクに身売りされた。前年には日本ハムが北海道に移転したが、新球団楽天も含めたパの3球団が「ボールパーク構想」を打ちだし、新たなビジネスモデルを構築し始めたのだ。
もし巨人を盟主とした1リーグが成立していれば、放映権ビジネスが崩壊する中で、プロ野球は再浮上できただろうか?対戦カードは減り、球団の放映権依存体質が残る中で、プロ野球は衰退していた可能性もあるだろう。

MLBの歴史では何度もドラスティックな改革が行われたが、NPBの歴史では2004年の「球界再編」だけだ。この大改革によって、日本の「ナショナルパスタイム」プロ野球は息を吹き返したのだ。
本当にすごいことだったと思う。
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コメント
コメント一覧
揚げ足取りではないのですが、
ダイエーの経営が傾いていて産業再生機構入りするタイミングと重なって「産業再生機構ホークスになる」なんて揶揄されていたのを憶えています。
ライブドア参入、ホリエモン登場、監督候補オマリー、一場投手の裏金、ストライキ、コミッショナーと交渉する古田のスーツ姿、ナベツネたかが選手発言、岩隈投手の分配ドラフト拒否、連日スポーツ紙を賑わせていたのを憶えています。
ダイエーの前に西武の話があったと思います。ダイエーはそのあとソフトバンクとの身売り話が本格化しました。
アマチュア有望選手が在京セの球団に拘らなくなったのはこの辺りからだと思っています。
2005年のプロ野球を知る現役選手は青木宣親、石川雅規のヤクルト勢と中村剛也、栗山巧、中島裕之の西武勢、和田毅くらいじゃないかな。
歴史の転換点でした。
これをリアルタイムで見れたのは幸せ。
そういえば先に西武が球団維持が難しくなっていましたね。思い出しました。
読売を目の敵にしていたはずの西武グループ堤総帥がナベツネに泣き付いたのには少し驚きました。
毎日新聞の1面でナベツネが「巨人がパに行っても良い」と愚行に出て、阪神の久万オーナーが「やっぱり1リーグでお願いするかも」なんて言ったのを情け無い思いで観ていました。
当時はまだプロ野球=巨人+その他の球団だったんですね。
コミッショナーの就任会見でパイプを咥えたナベツネが同席していたのも今となってはノスタルジーな絵面です。
ナベツネさんは、今になって「俺は球界再編の主役ではない」と言っているようです。
ただ、彼には正力松太郎のように「プロ野球の父」「プロレスの父」みたいな称号が欲しいと言う野望があったのでしょう。
そもそも巨人以外の選手はあまり知らなかった。パの選手なんてオールスターでしか見たことなかった。