WBCでの日本選手があたかも「スポーツマンシップのお手本」のようにふるまっているニュースが、連日大量に発信されている。
相手選手をリスペクトするふるまいを見せたり、負けたチームを讃えたり、後輩に優しく接したり。
そういう報道がどんどん増えている。日本人は自信喪失しているから「日本人はこんなに素晴らしい」という情報にはすぐに飛びつく。メディアもそれに対応して、小さな話までどんどんニュースにしていく。

今のこの状況を居心地悪い気持ちで眺めている人々がいる。
昔の野球指導者たちだ。
「対戦相手は敵なんだから、のんでかかれ。威嚇したりやじったりして、戦う前から戦意喪失させろ」
「勝ちさえすればいいんだから、どんな汚い手でも使え。手加減するな」
「負けたやつに同情なんかしなくていい。徹底的にやれ」
「相手チームは敵なんだから、仲良くなったりするな。一緒に笑ったりするな」
「先輩後輩の上下関係はしっかり守れ。後輩は厳しくしつけろ」
野球選手のこうした振る舞いが、日本のトップ選手たちによって、次々と否定されている。
野球少年や野球選手は「夢は甲子園」ではなく「夢はWBC、メジャー移籍」になろうとする中、古い指導者たちのこうした考え方は急速に陳腐化している。
「いいか、WBCに行くような選手は特別だ。お前たちは、俺の言うことを聞いていればいいんだ」
というが、選手の反応はいま一つだ。
選手たちは、昔と変わらない指導をする指導者たちを「この人は、古くて大したことないから、こんなことを言っているのだ」と思うようになっている。
WBCの報道は過熱していて食傷気味ではあるが、この報道を経て、日本の野球界はスポーツマンシップをより深く理解するようになるのだろう。それは良いことだ。
そして古い指導者はますます「今の野球に理解がある」かのような言動をするようになるだろう。
本心は別として。
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1960~62年柿本実、全登板成績
そういう報道がどんどん増えている。日本人は自信喪失しているから「日本人はこんなに素晴らしい」という情報にはすぐに飛びつく。メディアもそれに対応して、小さな話までどんどんニュースにしていく。

今のこの状況を居心地悪い気持ちで眺めている人々がいる。
昔の野球指導者たちだ。
「対戦相手は敵なんだから、のんでかかれ。威嚇したりやじったりして、戦う前から戦意喪失させろ」
「勝ちさえすればいいんだから、どんな汚い手でも使え。手加減するな」
「負けたやつに同情なんかしなくていい。徹底的にやれ」
「相手チームは敵なんだから、仲良くなったりするな。一緒に笑ったりするな」
「先輩後輩の上下関係はしっかり守れ。後輩は厳しくしつけろ」
野球選手のこうした振る舞いが、日本のトップ選手たちによって、次々と否定されている。
野球少年や野球選手は「夢は甲子園」ではなく「夢はWBC、メジャー移籍」になろうとする中、古い指導者たちのこうした考え方は急速に陳腐化している。
「いいか、WBCに行くような選手は特別だ。お前たちは、俺の言うことを聞いていればいいんだ」
というが、選手の反応はいま一つだ。
選手たちは、昔と変わらない指導をする指導者たちを「この人は、古くて大したことないから、こんなことを言っているのだ」と思うようになっている。
WBCの報道は過熱していて食傷気味ではあるが、この報道を経て、日本の野球界はスポーツマンシップをより深く理解するようになるのだろう。それは良いことだ。
そして古い指導者はますます「今の野球に理解がある」かのような言動をするようになるだろう。
本心は別として。
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コメント
コメント一覧
いつも鋭い視点にハッとする感想を抱きつつ拝見させていただいています。
以下引用です
「WBCでの日本選手があたかも「スポーツマンシップのお手本」のようにふるまっている」
「あたかも〜のように」ということは、日本選手の本質は何なのだとお思いなのでしょうか?
気になって仕方なかったので初めてコメントさせていただきました。
昭和の根性的なモノはダルビッシュが高木豊氏との対談でも言ってましたけれど、僕達の代で終焉させたいという趣旨の事を言っていましたので、野球の未来が明るく感じられ非常に良かったです。
そうなのですか?
「あたかも」とか、「〜のように」とは、あるものが他によく似ていることを指すと思っていました。
御本人に代わっての返信ありがとうございます。
あたかも~であるがごとく、あたかも~のように
は、おっしゃる通り「まるで〇〇のようにふるまっている」と言う意味です。
日本にはスポーツマンシップの本当の意味を知っている人など、ほとんどいないのに侍ジャパンは「お手本のようにふるまっている」という意味ですね。
懐古派の皆さんが集い夢を語りながら慰め合う…美しい場所!と理解するようにしています。
そして自分は体育会系育ちですが、ここで言う「昔の野球指導者」のような輩に自分は殆ど出会わないので『なるほど…仮想敵をブチ上げて仲間で盛り上がるネタ』なのかな?と思っていたのですが…
ごめんなさい
実際にそういう方がいらっしゃるんですね驚
↓の様な記事がありました
ここの審判(というか大会そのもの)の思想ですかね?
佐藤監督もよく物申したと思います
【センバツ】ペッパーミル・パフォーマンスに審判が注意「なぜ止める?」東北佐藤監督が問題提起
>自分は体育会系育ちですが、ここで言う「昔の野球指導者」のような輩に自分は殆ど出会わないので『なるほど…仮想敵をブチ上げて仲間で盛り上がるネタ』なのかな?
ご自身のの周囲以外、どれくらいのスポーツの現場を見てこられましたか?
実際にたくさんいるんです。最近は取材には物分かりよく対応して、実際には「おらおら」みたいな先生も多いです。
私は高校野球の現場をよく取材しているので、古い指導者には嫌というほどあっています。今もいます。
東北高校の佐藤洋先生は私にとって同志のような方で、会合で何度もそういう話をしてきました。そう言われるのは当然の話です。
広尾様
おおー!
御本人からお返事ありがとうございます。
スポーツマンシップの本当の意味ですか...
武道で言うところの「礼」ですかね。
勝っても喜んではいけない、とか。
昔門前の小僧程度ですが、剣道をやっておりましたので、これが思い浮かびました。
学んでください。あなたは何も知らない。
http://baseballstats2011.jp/archives/60300572.html
私は30年近く前に少年野球をやっていましたが、そのころから野球問わずスポーツの指導に疑問がありました。近年やっと正常になってきただけで、以前までが異常だったのだと思います。
そうですよね。
わざとぶつけたのでない限り、死球で謝る必要はない。
日本は過剰。
ラグビーのタックルで相手を倒した選手が、謝ったりしないのと同じ。
全然同じじゃないだろ
そうしてボールを落とさせるゲームだから
野球てわざとボールをぶつけるゲームなんけ?
この様な行動は論外 お互いにルールに則り行うのがスポーツのあり方で有る
お互いに試合の後に讃えあう
勝ち負けにこだわり過ぎてスポーツの精神を忘れてはダメで有る
後あじの悪いプレイを行い 勝っても良い歴史は築かれない!
古いものを敵対視する人間嫌いだわ。こういう人間は自分が年を取ったら淘汰されるだろう。
ラグビーのタックルは野球で言う「ボールを投げる」、「バットで打つ」と同じぐらい必要な基本動作
それと同じとかちょっと有り得ない
返信のコメントもまるで上の人間のような振る舞いそのもので笑ってしまいました
ゴミだからゴミについて詳しいんですね(笑)
野球の死球だって「ボールを投げる」と言う基本動作のリザルトの一つであり、ルール違反でもなくプレーの一環。タックルで倒れた選手に仕掛けた選手が謝らないのと同様、死球を受けた打者に投手が謝らないのが基本。
MLBでは、ぶつけた投手が謝ったら「わざとぶつけた」と認めることになりかねないから、謝罪はしない。
そうですか、そういうの一度も見たことないんですよ。
このブログ初めて14年、この間、ライターとしてもずっと書いていますが、メディアから何か言われたこともないし、何の影響も受けたことはありません。
勝手にごみ溜めができているだけだと思っています。
livedoorさんやメディア担当者さんからも「無視していいですよ」と言われていますから。
で、ほかに何か?
>失投ならば謝罪はいらないがあれは違う。当たるべくして当たった球。背中に当たる死球は普通の死球ではない。
初耳です。危険球かどうかは審判が判断すると思っていましたが、あなたがジャッジしているんですかね。
自信ないからとにかく気持ちよくなりたいんだよね。
警察呼んできっちり事後処理すれば
相手に謝る必要ない、ちゃんと法律に従ったし、わざとじゃないんだから。
そんな感じ?
人としてどうかと思うね。
日本経済潰した団塊世代の典型例のバカ丸出しな思考回路ですね。
「負けても姿勢が素晴らしい」という考え方の方が日本に限らず世界に浸透しつつある。
今回のWBCでも優勝候補のドミニカ共和国は一次予選で消えたが、間違っていたとかでなく、伏兵ベネズエラに負け、プエルトリコとの真剣勝負で負けただけ。
むしろチェコのような新興勢力の健闘を讃えている。
見苦しいのは日本にも惨敗し、豪州にも負けてまた一次ラウンドで消えた韓国で、彼等の言っていることとかつて日本で言われていた事がやけに似ている。
過去の栄光を口にし、近年の結果を正面から検証しようとしない。
そもそも正力松太郎の言う「巨人軍は紳士たれ」がNPB史上最強の読売巨人軍を作った。
そしてメジャー流を最初に取り入れてV9を達成した。
「紳士たれ」の精神が選手とファンに受け継がれた結果が現在地だ。
なにも間違っていなかったし、だからサイヤング賞投手が横浜に来た。
メジャーリーグに日本人監督が就任する日も遠くない。
そこに至る過程として勝利至上主義があった。
それだけの話だ。
警察呼んできっちり事後処理すれば
相手に謝る必要ない、ちゃんと法律に従ったし、わざとじゃないんだから。
そんな感じ?
人としてどうかと思うね。
日本経済潰した団塊世代の典型例のバカ丸出しな思考回路ですね。
車運転していて死亡事故起こすのと
野球で死球を出すのは、同じではない。
車による死亡事故は「競技中」ではなく「日常生活」で起こるものであり、加害者には過失があるし、多くは違法。わざとであれば殺人罪などに問われる。
野球の試合中の「死球」は、競技中にルールを守っている中で起こるものであり、投手は「故意死球」でない限り、過失があったとは言えない。わざとぶつけたと認定された場合には、審判が「危険球退場」を宣し、勝負からイジェクトされる。
MLBでボールをぶつけた投手が謝らないのは「故意」ではないから。通常のプレーの中で起こったから。謝罪することは「故意にぶつけた」ことを認めたことにあり、打者から報復される可能性がある。
団塊世代って誰のこと言っているのか知れないけど。
子供の頃に嫌な目にあったトラウマでもあるのかな?
言ってることはあながち間違ってはないとは思うけど、こんなザマァみたいな表現じゃ響かない。
攻めた結果であれミスってしまいましたごめんね、の何が問題なん?
ラグビーのタックルで相手を倒すのは、もっかい言うけどそれを目的にしてるゲームだからね?
相手にタックルしてぶっ倒してボールを落とさせる、相手側はそれに耐えてボール落とさず前に持ってく
そういうゲームだからミスしてるのはタックルされてボールを落とした側なんだよ
タックルした側が謝るわけないじゃん、何のミスもしてないんだから
確かに根性論やマウントする監督・コーチは多いと思います。
確かに根性論も大切ですが日々進化する最新の理論を勉強し、それを教え子にわかりやすく説明する…そういう時代になったのではないでしょうか?
野球の死球がコメントで少し話題に出てましたが、いくらルールでも本人が「申し訳ない」と感じれば頭を下げる…これこそ相手を尊重するスポーツマンシップではないでしょうか?
スポーツマンシップも時代と共に育まれ、昔のような考えは淘汰されていく…私はそのように考えます。
そんなに野球詳しくない側からの意見だけど、メジャーリーグ神聖視しすぎだと思うんだわ
メジャーリーグでは死球しても謝らない、うんだから?それがどうしたの?としか思えない
自分がミスして相手にぶつけて、痛い思いさせて最悪選手生命に関わるのに謝らないとかクソゴミじゃんと
そんなメジャーリーグの様相がスポーツマンシップだとか狂ってるでしょ
それこそ訳のわからん根性論だとか体罰だとか上下関係だとか、日本の昔人間ギャートルズ指導者と同じやで
叩いてる奴と同類になってるて、冷静になってメジャーリーグ絶対正義やめちゃり
野球はそんなに興味はありませんが、真実を知りたいので。
>野球はそんなに興味はありませんが、真実を知りたいので。
興味ないのなら、どうぞご退席ください。真実はそんなにお手軽に手に入りません。
>そんなに野球詳しくない側からの意見だけど
じゃ、もっと詳しくなってから来てください。義務教育じゃないので、みんなに満足いく返答をする暇はありません。
詳しくないのに、なぜ一丁前の意見を言うのか、理解に苦しみます。
スポーツマンシップは「確固とした理論がある価値体系」であることをご存じでしょうか。
一般用語ではないですよ。
すいませんね。トラウマがあったのかもしれませんが、ブログ本文じゃなくてコメントばかり読んで絡んでくるような人は、読者だとは思っていないので。
今のスタイルを改める気は毛頭ないので、嫌なら読まないと言う手があります。
謝罪は故意を認める事になるから必要ないといのは、違うと思います。もし駅伝で全く故意では無く相手と接触し、相手が転倒したとして接触した選手や監督は故意ではないからと謝罪しないという選択は周囲からの非難に繋がるかもしれません。周囲から自分達を守る為に謝罪をする。その結果、故意では無かったのに謝罪するなんて思いやりのある選手だと好感を与える可能性もあります。
スポーツに限らず観客がいて成り立つものはいかに観客を魅了するかだと思っているので、旧指導者?のやり方は今の観客に余り求められてないのかなと思いました。
謝罪は故意を認める事になるから必要ないといのは、違うと思います。もし駅伝で全く故意では無く相手と接触し、相手が転倒したとして接触した選手や監督は故意ではないからと謝罪しないという選択は周囲からの非難に繋がるかもしれません。周囲から自分達を守る為に謝罪をする。その結果、故意では無かったのに謝罪するなんて思いやりのある選手だと好感を与える可能性もあります。
スポーツに限らず観客がいて成り立つものはいかに観客を魅了するかだと思っているので、旧指導者?のやり方は今の観客に余り求められてないのかなと思いました。
>謝罪は故意を認める事になるから必要ないといのは、違うと思います。
これはMLB流の解釈なので、日本で異なる価値観になることそのものはかまわないと思います。
ただみんなが佐々木朗希のようにやらなければいけない、ということではありません。
高野連もいつまで経っても変わってないから、内部から誰かが変えて欲しい、それとも変えようと活動している人に気づけていないだけなのか・・
いい野球人生を送ってこられたと言うことですね。
ただ、最近の指導者は私などが話を聞くと「選手の自主性に任せている」「暴力もパワハラも否定する」と言いながら、実態が違う人も結構います。難しくなっています。
昭和の悪しき慣習は捨てよう
猛省を促したいが、奴らは地獄に堕ちても反省などしないのだろう。
これらがようやく良い方向に流れてきて、水分摂取もでき丸坊主も強要されなくなり、体罰もなくなってきたと思ったらメジャーに出られる世界レベルの選手もどんどん出てきた。
当たり前だが、感情論ばかりの今までの指導が間違っていたことが証明されてきた。これまでのただ人格否定するような指導で、どれだけの日本人メジャーリーガーが生まれただろうか。
一人一人球児の原体験は違いますからね。でも、それを超えて「あるべき姿」を模索するのが大事ですね。
チームを背負うなら勝つ事が一番。勝たなければならないとの思いが強いのも分かります。勝負なのだからと。
でも、スポーツであって戦争では無い。負けても命を取られるわけでも無い世界ですので昨今のサッカーワールドカップに始まる「勝負もさながら、日本の規律と礼儀正しさで振る舞う」事こそある意味の勝利を得ている感もあります
飽くまでも勝負と拘る世代と、飽くまでもスポーツであると思う方の思いが交わることは難しいでしょうし、どちらが悪いとも言えないと思いますが時代的には後者のイメージが日本に求められている事なのでしょう
昭和の根性的なものと記事に書かれているものは全く別のものだと思います。
1960年代の巨人の星ですら相手への敬意というのは表現されていた様に思います。。
そうやって旧世代を叩いたらウケるみたいな記事は大人への不満をSNS書き込んでいるのと同レベルのプロとしては陳腐内容の記事だなぁと思います。
こういった問題は双方のリスペクトと敬意によって解決出来ればいいなぁと思います。
一方的な善悪の決めつけこそ北朝鮮やロシアとやっている事が同じなのでは?と思います。
話の飛躍があるようですが、昔から相手をリスペクトする野球人はたくさんいましたが、恫喝するような指導者もいました。
野球の現場をどれだけ知ってコメントしているのか知らないけど、少年野球の現場は今でもひどいものです。
私はそういう現場の取材を続けています。昨日もそんな試合を見ました。
観念で書いているのは、あなたの方だと思いますが。
もし、準々決勝にも進められなかったら、選手、監督へのブーイングは如何程だったかと考えたら、マスコミ、国民の興奮に良かった良かったと素人として安堵している。
今までも負けたときにブーイングなんてそんなになかったと思いますが。
韓国とはその当たり、少し違うようです。
そしてそのお国は例に洩れず、スポーツ選手や試合結果のレベル低下が著しい“らしい”ですね。
今では良き“反面教師”に成り下がってしまっています。
悪い指導者に虐められた悲しい過去があるんかな⁉️
昔の指導者にも素晴らしい人がいたのは、当然の話です。いつの時代も、どんな物事でも「100%こうだ」と言い切れることなどありません。
昔の指導者の中には「こんなひどい人もいた」ということであり「そういう指導が容認されていた」「良いことのように思われていた」ということです。こうした論評の際に「でもそうでない人もいた」といちいち付言していては、論旨がぼやけてしまいます。
読者には、そういう「紙背」の部分も察してもらわないと。
「昔のアメリカ人は有色人種を差別していた」と書くときにいちいち「そうでない人もいた」と付け足すことはないでしょ?
文章を読むと言うのは、そういうことだと思うのですが。