今日ここでコメントしている人の大半は、初めてここに来ている人のようなので、良く知っている人には当たり前のことも含めて、説明を加えておく。
今、日本野球、特にアマチュア野球は世界中で顰蹙を買っている。日本流の「汚い手を使っても勝つ」戦法や、「相手に勝ち誇る」ようなパフォーマンスは、世界では異質になっている。
何度も書いているが、女子野球日本代表の橘田恵監督や、多くの少年野球の監督は、国際大会で、日本流の野球で相手に勝って「お前たちは確かに強い、でも俺たちは絶対にお前らみたいな野球はしない」と言われている。大会関係者から「お前らはスポーツマンシップを知らないのか」と言われることもしばしばだ。そういう経験をした指導者たちは「自分たちはおかしな野球をしているのではないか」と思うようになった。
一方で、日本の野球少年の多くは「甲子園」ではなくMLBの野球に対して憧れを持っている。彼らのために、アメリカで通用するような野球を教える指導者もでてきている。「他所の国のことなんか知らない、日本は日本のやり方がある」という従来の指導者の考え方はどんどん陳腐化している。
日本の少年野球人口がここ10年で3割も減ったのは、多くの少年が、従来の「おらおら日本野球」に魅力を感じなくなっているからだ。
WBCは爆発的な人気になっているが、これは「日本野球ってやっぱりいいなあ」ということではなく「世界で活躍する日本人選手は凄いなあ」というトレンドなのは明らかだ。

そういう前提で、甲子園の「ペッパーミルパフォーマンス」について改めて考える。
「ペッパーミルパフォーマンス」は、去年本格的にメジャーデビューしたヌートバーがやりだしたものだ。
アメリカでは、安打を打ったときに大げさに勝ち誇るようなパフォーマンスをすることはよくないとされている。厳密に言えばこれは「スポーツマンシップに悖るから」ではなく「アメリカのアンリトゥンルールに違反する」からだが、どちらも「敗者(安打を打たれた投手)に必要以上の恥をかかせる」ことを戒めている。
しかしヌートバーの「ペッパーミルパフォーマンス」は、MLBでは非難されず、受け入れられている。「投手に恥をかかせるものではない」と見なされているのだ。これ以外にもMLBにはたくさんのパフォーマンスが存在するが、「セーフ」と判断されたものだけが、行われているのだ。
甲子園で東北の選手がヌートバーの真似をしてやった「ペッパーミルパフォーマンス」は、アメリカ的にはセーフのふるまいだ。例えば、甲子園で選手が安打を打って派手なガッツポーズをするのは、アメリカ的にはアウトだし、恐らくスポーツマンシップ的にも良くないふるまいだ。
東北高校の佐藤洋監督は、スポーツマンシップについてよく理解している指導者だ。ついこの間まで少年野球の指導者であり、野球指導の改革を目指す指導者が集う「Cambio Meeting」にも慶應高校の森林貴彦監督などと参加していた。私もこの会合には出席している。つまり、佐藤監督は「ヌートバーの真似をするパフォーマンスはセーフだ」という認識を持っていたことになる。
そうした指導者の価値観は、今、少しずつ全国に広がりつつある。「ペッパーミルパフォーマンス」について「不要」と言った日本高野連に対して多くの指導者が「スポーツマンシップ的にはセーフだし、WBCとの連携をする上でタイムリーなのに、なぜダメなのか?」と思うようになっている。
日本高野連が「ペッパーミルパフォーマンス」そのものではなく、それを「失策で出塁した」ときにやったことが「不適切だ」と断じたのなら、議論の余地があったと思うが、そうではなくて頭から「ペッパーミルパフォーマンス」は「不要」と切って捨てたことに、多くの野球ファンが違和感を持ったと言うことだ。
日本高野連や一部の指導者があたかも「法王庁」のように、一方的に物事を裁く時代ではない。世界の動きや国内のトレンドにも敏感になって「野球の進化」を促さなければならない。
こういうことだと思う。
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1960~62年柿本実、全登板成績
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一方で、日本の野球少年の多くは「甲子園」ではなくMLBの野球に対して憧れを持っている。彼らのために、アメリカで通用するような野球を教える指導者もでてきている。「他所の国のことなんか知らない、日本は日本のやり方がある」という従来の指導者の考え方はどんどん陳腐化している。
日本の少年野球人口がここ10年で3割も減ったのは、多くの少年が、従来の「おらおら日本野球」に魅力を感じなくなっているからだ。
WBCは爆発的な人気になっているが、これは「日本野球ってやっぱりいいなあ」ということではなく「世界で活躍する日本人選手は凄いなあ」というトレンドなのは明らかだ。

そういう前提で、甲子園の「ペッパーミルパフォーマンス」について改めて考える。
「ペッパーミルパフォーマンス」は、去年本格的にメジャーデビューしたヌートバーがやりだしたものだ。
アメリカでは、安打を打ったときに大げさに勝ち誇るようなパフォーマンスをすることはよくないとされている。厳密に言えばこれは「スポーツマンシップに悖るから」ではなく「アメリカのアンリトゥンルールに違反する」からだが、どちらも「敗者(安打を打たれた投手)に必要以上の恥をかかせる」ことを戒めている。
しかしヌートバーの「ペッパーミルパフォーマンス」は、MLBでは非難されず、受け入れられている。「投手に恥をかかせるものではない」と見なされているのだ。これ以外にもMLBにはたくさんのパフォーマンスが存在するが、「セーフ」と判断されたものだけが、行われているのだ。
甲子園で東北の選手がヌートバーの真似をしてやった「ペッパーミルパフォーマンス」は、アメリカ的にはセーフのふるまいだ。例えば、甲子園で選手が安打を打って派手なガッツポーズをするのは、アメリカ的にはアウトだし、恐らくスポーツマンシップ的にも良くないふるまいだ。
東北高校の佐藤洋監督は、スポーツマンシップについてよく理解している指導者だ。ついこの間まで少年野球の指導者であり、野球指導の改革を目指す指導者が集う「Cambio Meeting」にも慶應高校の森林貴彦監督などと参加していた。私もこの会合には出席している。つまり、佐藤監督は「ヌートバーの真似をするパフォーマンスはセーフだ」という認識を持っていたことになる。
そうした指導者の価値観は、今、少しずつ全国に広がりつつある。「ペッパーミルパフォーマンス」について「不要」と言った日本高野連に対して多くの指導者が「スポーツマンシップ的にはセーフだし、WBCとの連携をする上でタイムリーなのに、なぜダメなのか?」と思うようになっている。
日本高野連が「ペッパーミルパフォーマンス」そのものではなく、それを「失策で出塁した」ときにやったことが「不適切だ」と断じたのなら、議論の余地があったと思うが、そうではなくて頭から「ペッパーミルパフォーマンス」は「不要」と切って捨てたことに、多くの野球ファンが違和感を持ったと言うことだ。
日本高野連や一部の指導者があたかも「法王庁」のように、一方的に物事を裁く時代ではない。世界の動きや国内のトレンドにも敏感になって「野球の進化」を促さなければならない。
こういうことだと思う。
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コメント
コメント一覧
いや安打じゃなくて相手の失策の場面だからアウトでしょ。それをずっと指摘されてるのに、わざわざ項を改めて同じ事書いても誤魔化すのは無理ですよ。
初手で東北の監督全面擁護したから引くに引けなくなってるのが側から見ると、よく分かる。ラグビーのタックルを死球と同列に扱ったのもモゴモゴしながら逃げてるし、かと思えば知識不足と決めつけたコメントには「貴方は何も知らない」と鏡で自分見たこと無いの的な事書いてるし。
典型的な「我こそ正義と相手を批判するけど、自分の間違いは認める事が出来ない人」ですね。その手の人が主張しても、説得力が第三者にどう評価されるか理解する事ってそんなに難しいですかね?
ごまかしているわけではなくて、ものすごい数のコメントが来ているので、個別に対応できないのでブログで返事しています。全員に最大限の誠意を示すのは無理です。
読まなくてもいいんじゃないでしょうか?
頭硬い老●が蔓延っているのが野球界ですよね。
いつも楽しみにしています。がんばってください。
ガッツポーズが侮辱にあたるとかの価値観なんかかなり疑問点だし
国際的な多くのスポーツではガッツポーズは禁止されていない
MLBで受け入れられているという前提も条件が1つ加わるだけで大きく崩れるように思えますが
相手のミスで行うパフォーマンスは適切ではありませんでした。今後はヒットなどの好プレーの時に行うようにチーム内で共有したいです。
と敢えて返答してほしかったです。
今からでもそのように言うべきでしょう。
ダメに決まっているじゃないですか。
そうですね!
恐らくないと思います。でも、そこが今回の論点ではない。
議論の余地があるとか、今回の論点では無いとか政治家みたいな事言ってますが、今後似たようなパフォーマンスが流行った時に失策場面で使用されないようハッキリさせておく事は重要。サッカーの選手権でもそうですが、今の高校生はこういうネット流行のパフォーマンスに乗っかるのが好きなので。
広尾晃さんにしろ東北の監督にしろ
「野球指導の改革を目指す指導者が集うミーティング」参加者の見識がその程度だと広める事は、その会合にとってもマイナスだと思いますけどね。
そのことは高野連に言わないと。
高野連が「失策でパフォーマンスをしたのは不適切」と言っていたら、話は変わっていた。でも、高野連は、パフォーマンスそのものを「不要」と言ったわけで。
>今の高校生はこういうネット流行のパフォーマンスに乗っかるのが好きなので。
それ、何が悪いんですか?
高野連がなんの説明もなく広く認知されたパフォーマンスを封じるような組織のままでいたら、
どんどん野球が衰退していくという問題提起なのに…
結局東北高校はその後ヒット打ったときだって
やりたかったはずなのにできなくなってるわけで…
エラーの後にパフォーマンスするな、ですか
たしかにその通りですが、表面の問題を大きく取り上げて本質から目を背ける…
いかにも頭のお固い指導者の方が言いそう…
高校野球していたときの嫌な思いが込み上げてきたので思わずコメントしてしまった
>高野連がなんの説明もなく広く認知されたパフォーマンスを封じるような組織のままでいたら、どんどん野球が衰退していくという問題提起なのに…
重要な指摘です。
パフォーマンスの是非は関係ありません。
スポーツマンシップとは、相手選手に敬意が
あるかどうかが重要と言ってましたよね。
流行りのパフォーマンスする事には、相手選手への
敬意は微塵もありません。
MLBではセーフだからスポーツマンシップに問題ない?
MLBの価値観は絶対なんですかね。
流行りのパフォーマンスを禁止するのに具体的な説明が
無いという批判ならスポーツマンシップを持ち出す必要はありません。
広尾さんにとってスポーツマンシップって相手を無知と
見下したり、自分の価値観が正しいと主張するための
小道具にしているとしか感じません。
議論の前提として「スポーツマンシップ」について本を読んだり、セミナーを受けたりしたことはありますか?
それなくして議論はできないと思いますが。
>パフォーマンスの是非は関係ありません。
って、スポーツマンシップでは、そんなことは言っていないのですが。
私はスポーツマンシップってこういうことだと思う、って、学んでいない人が勝手に主張するのはナンセンスです。
野球のルールを知らない人と野球の話ができないのと同様。
選手の実力や動くお金から世界一の野球リーグであるのは間違いない所ですが、
過去に蔓延していた不正行為(粘着物質、サイン盗み、ドーピング等)、明確にならない不文律とそれに反した時の報復死球等はその最たるものです。
特に、不文律に関しては誰がどう判断するのかは
野球界では、MLBがすべてです。
最も大きな経済力を持ち、最も多くの選手、最も優秀な人材を有し、世界の野球界の目標になっています。どんな凄い組織でも問題、課題はあります。
でも、二番目のリーグであるNPBよりはるかにまともです。不文律についてまでそれに倣うべきとは思いませんが、日本のファンはNPBがMLBに比べてどれだけしょぼいプロ野球かを思い知るべきです。
個々の選手、指導者には優秀な人もいますが、組織や運営では胸を張れるようなことはそんなに多くありません。
日本の野球の評判が海外で悪いのは勝つ為に全力を
尽くす事を相手への礼儀と考え実力差があって
点差が開いてもバント、盗塁などのプレーの内容の問題であってヒット打った時のパフォーマンスが
原因では無いという話しをスポーツマンシップの中に
パフォーマンスの是非ついては述べられてない
にすり替えて批判する人とは
確かに議論にもなりませんね。
スポーツマンシップの話しにしてもヒットを打たれた
投手に配慮すべきが考え方の根底にあるのであれば
理想は反射的に出たものを除き
全てのパフォーマンス禁止でしょう。
何に腹が立つとか侮辱されたと感じるかは
人それぞれだから。
パフォーマンスをやりたい理由は何でしょうか?
やってる本人達は楽しいし盛り上がるし
この程度の事を禁止してたら野球人気が下がる一方?
この理由だけなら十分理解できますが
どこに相手投手に対する配慮があるのでしょうか?
スポーツマンシップについて、本を読んでおられるとは思いますが、スポーツマンシップは「ルールブック」ではありません。
ああするな、こうせよと書いているわけではありません。
スポーツは敵味方みんなが楽しむためにあるわけですから、試合中に、仲間を鼓舞するためにパフォーマンスをすることは「あってよい」という考えです。ただ相手に恥をかかせる、貶めるパフォーマンスは「このましくない」ということです。
例えば、相手チームがファインプレーをした時に、それを敵チームが褒めたたえるようなパフォーマンスは好ましいものとして推奨されます。
アメリカでは高校野球のようなガッツポーズは認められませんが、ペッパーミルパフォーマンスはOKです。これが、相手チームへの示威行動ではなく、味方を鼓舞するものとみなされているからです。
東北高校のあの場面は、初めての甲子園の最初のバッターで緊張している中で、しっかり振り切って、強い打球を打って出塁して、みんなで「ナイスバッティング!」と言っているところで起きたペッパーミルです。後から記録上は失策となりましたが、高校生には結構難しい強い打球でした。
東北高校の選手には相手のエラーをバカにする意図は全く無く、打者のバッティングを単純に褒めたことが明確な場面です。後出しで失策が云々言うのは、あの場面を見ていないか野球そのものを理解できていない人の言葉と感じました。
をネタにしているようなので。
そもそも高野連は今までも過度なガッツポーズを含めてパフォーマンスは注意しています。このパフォーマンスはアウトとかセーフとか以前の話です。
そこにスポーツマンシップを持ち出しペッパーミルはセーフでガッツポーズはアウトとかMLBの価値観を持ち込んでも不毛という事が理解出来ないのでしょうか?
何が鼓舞で何が侮辱なんて人によって異なります。
日本人の価値観で明らかな侮辱以外のパフォーマンスは認めるべきの主張で十分です。
別の記事では死球当てても故意で無ければ謝る必要は無い話もしてます。MLBでは謝ったら故意と受け取られるから、MLBでは謝らない方が良いくらいの話なら分かりますけど、謝る日本人の方がおかしいような話をされて
共感得られると思うのでしょうか?
相手のミスに対してガッツポーズやパフォーマンスをする事はスポーツマンシップとしても人間的にもありえない事だとは思いますがチームを救うホームランやファインプレーをした時にガッツポーズやパフォーマンスをする事や点差が開いた時に送りバントや盗塁をする事が相手へのリスペクトが欠けている行為だとは思いません。
相手チームを研究して弱点を着いて攻めることもむしろ相手が強いと認めて力対力の勝負以外の所で勝つ為に行っている事なので決して相手を馬鹿にしていると言った行動ではなく卑怯と思われてしまうのは悲しいです。
「勝つためなら何をしてもいい」ではなく「勝つために何ができるか」を考えて努力した結果です。
その努力が実ってヒットを打って塁上でパフォーマンスをする、相手を三振に討ち取ってガッツポーズでベンチに戻る、点が入ってみんなで喜ぶ、そんな事はプロアマ、国籍問わず自然なことではないでしょうか?
>高野連は今までも過度なガッツポーズを含めてパフォーマンスは注意しています。このパフォーマンスはアウトとかセーフとか以前の話です。
と言いながら安打を打って一塁上でこぶしを振り上げるのはOKになっているようですが、いかがなんでしょうか?
>スポーツマンシップを持ち出しペッパーミルはセーフでガッツポーズはアウトとかMLBの価値観を持ち込んでも不毛という事が理解出来ないのでしょうか?
何が鼓舞で何が侮辱なんて人によって異なります。
日本野球のモラルが世界のスタンダードからにかけ離れつつある中で「日本には日本のやり方がある」というのがおかしいと言っています。
よく理解したうえでそうしているのではなく、無知と独善でそういう風になっています。そして日本人の多くは、日本野球の「古さ」「愚かさ」忌避するようになっています。
>何が鼓舞で何が侮辱なんて人によって異なります。
個人の感覚の話をしているわけではない。日本野球のスタンダードを世界基準に改めるべきだと言っています。
なぜなら今、野球を対いる若者の多くは「上の言うことをよく聞いて」「甲子園に出て」「プロに行くこと」なんか考えてないからです。
日本ではなく世界に出たい。大谷翔平みたいになりたいと思っているのです。
私は共感なんか得たいと思っていません。自らが思うところを書いているまで。
理解できない人は、馬鹿だなあ、と思いますが。
じゃあ、2006年のタッチアップの誤審は何なのですかってなりますもんね。
スポーツマンシップってズルい事なの?ってなります
。
判定がひっくり返っただけで「誤審」ではないですよ。不利な判定をされて一部の日本人が文句言っているだけで。
スポーつマンシップでは、一度決まった判定には従います。
それが今の高校野球の審判の価値観で
過度のガッツポーズでないと判断されただけ。
で、世界スタンダートのモラルとか主語を大きくして
意味不明なのですが、何の件について話してるのやら?
パフォーマンス禁止なんて古臭い考えと思いますよ。
それを改めろという話だけなら
十分理解出来るのですが。
最初のコメントに書いた実力差がある相手
大量得点差が出来た時の戦い方について考えろという
話も分かります。
世界基準って何の話ですかね。
ガッツポーズされたら報復死球当てる事?
死球当てても故意じゃなければ謝らない事?
共感なんて得たいと思ってない。
何をどう改めるべきとか具体的な話は全く無し。
ルールですら無く共感も得られない話で
考え方が改まるわけがない。
あなたがスポーツマンシップや、アメリカのアンリトゥンルール、日本野球を取り巻く世界的な状況について、情報を得て理解しておられるのなら、話をしても有意義でしょうが、あなた個人の考え、価値感だけでモノを言っておられるようなので、そもそも議論のステージに立っていないと思いますが。
私は、世界に向けて広がっていくべき日本野球が、今後どんな振る舞いをすべきか、についての議論をしたいわけで、あなたがどう思うか、どう感じているかには、私はとりあえず興味がありません。どうぞお好きに、というまでです。
お断りします。
高校生の野球だけなぜだめなのかね?昭和初期みたいだね。野球も負けたら終わりでしょう?
スポーツマンシップバイブルを読んでみましたが
予想通りガッツポーズを批判したり
ミスでも死球当てたら謝る事への批判はなかった。
報復死球は存在がある程度の話だけで指導者の暴力批判
ルールの存在意義の一つに非暴力を挙げ
ルールや慣習だろうが悪いと考える事に声をあげると
言いながら、報復死球は議論の対象にしないのは
他国の文化を尊重してるのか?
どんなダブスタで暴力を黙認してるのかは
疑問が残った。
話の流れとして尊重、勇気、覚悟で尊重は根幹
とありましたが、他者への尊重とか広尾さんの
ブログの文章からは全く感じられませんが。
同じ問題提起でも東洋経済オンラインとかの記事とは
表現異なるのは炎上系ブログを目指してるのですかね。
どんなに分かりあえない相手でも話あう努力といった
内容もありましたけど、質問に答えない理由が
議論のステージに無いとか言ってる
人がなに言ってるんだろ。
ブログにおいてはスポーツマンシップバイブルに
書かれてる事を全く実践してない人間が
スポーツマンシップを持ち出す事こそ
スポーツマンシップに対する冒涜と感じましたが
何ら説明せず理解出来ない相手が馬鹿なのだ
と見下して終わりでしょうね。
ルールブックとスポーツ全般の「あり方」「思想」を解いた本の区別もつかないとは、中々のリテラシーです。ななめ読みでわかるような本ではないです。特にあなたのようなレベルでは。
>同じ問題提起でも東洋経済オンラインとかの記事とは表現異なるのは炎上系ブログを目指してるのですかね。
自分の家のリビングでしゃべっている内容と、講演会で話す内容が同じ人間がいるとすれば、それは馬鹿者でしょう。
ものすごく悔しいのはわかるけど、あなたと議論するのは「時間の無駄」なので、このくらいにしましょう。
日本人がメジャーリーグに行けばそちらのルールに従い、アメリカンが日本に来ればこちらのルールに従うで良いんじゃあないでしょうか。
今話題だからと言って世論に迎合する残念な記事だと思います。
野球が伝来して今年で151年、日本野球はアメリカでルール改定があるたびにそれに従ってきました。MLBマンフレッドコミッショナーの改革はかなり過激なので、今後はやや疑問が残りますが、少なくとも世界大会ができないような「独自ルール」を作ることなど考えられない。
大相撲や柔道でさえも、世界共通のルールがあるのになんで「郷に入っては郷に従え」なんですか?田舎もんですか?
いまだに強制的に坊主にする、軍隊的な野球部員のしゃべり方、色彩に乏しいユニフォーム、戦争の名残りが根強い世界です。ペッパーミルが認められるわけがありません。ガッツポーズだって苦々しく思っているはずです。
私は旅行でニューヨークに行ったとき、たまたま地元の中学生くらいの野球チームの練習試合の光景を見ましたが、15歳くらいの選手たちがガムを噛みながらリラックスした雰囲気でプレーしていました。声も全然出していませんでした。空振りしたら「クソッ!」というくらいで、のんびりと野球をやっていました。これを見ながら、日本の学生野球とはえらい違いだ、日本じゃこんな感じでプレーしていたら監督やコーチに張り倒される。同じ「野球」なのに全然違う。いや、こっちは「野球」ではなく「ベースボール」だった。そうです。野球とベースボールは同じスポーツではないのです。たまたま同じルールだっただけで全然別物と考えた方が良いでしょう。そもそも日本の野球はスポーツですらなく、むしろ「訓練」とか、よくても「武道」でしょう。だからそこにはどうしても苦痛に耐えなければならないようなニュアンスが入りこんでしまう。おそらく韓国もそうでしょう。日本には「スポーツ」なんていまだに存在しないんですよ。
スポーツに儒教の概念を持ち込んだのは日本です。「礼に始まり礼に終わる」「長幼の序」年寄りが偉そうにできる仕組みをまず作ってしまったわけですね。
韓国も日本の植民地になったので、そういう気風が植えつけられました。