「最近は、大阪万博も知らん奴が一丁前の口利くようになったで」と言っていたのは、平成になった当たりだっただろうか。1970年の万博頃に生まれた人が20歳くらいになって生意気なことを言うようになったのだ。
それが今や、長野五輪から愛知万博も知らないような連中が一丁前になっている。
もうすぐ「大阪万博知ってる奴が、まだ動いて口利いてるで」と言われる時代になるのだろう。

しかし我々の世代にとって、万博は「人生最初のハイライト」ではあった。千里とかいう大阪北部の竹やぶしかない土地に突如として巨大な未来都市ができたのだ。私は小学5年生だったがクラスでは「何回行ったが」が自慢になっていた。うちのおやじは四国から出てきて会社では大きな顔をしていたが、街に出ると田舎者で、万博に行っても大きなパビリオンに並んでまったりせずに、アフリカやアジアの小さな国を回る程度だった。中学校くらいの文化祭みたいな展示もあった。パビリオンと間違って小ぎれいなトイレに入ってしまったこともあった。小学校からは社会見学で日本館に行き、太陽の塔の中にも入った。今も手元に公式ガイドブックが残っているが、ページを開けば当時の高揚感が蘇る。

それ以降、沖縄海洋博とか、大阪花博とか、愛知万博とかあった。一部仕事でもかかわったが、1970年の高揚感は全くなかった。なにより大阪万博は6400万人、愛知万博は2200万人、つくば博は2000万人ざっくり言って別物であった。

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東京五輪で始まった高度経済成長は、大阪万博で全国に波及したのではないか。当時は、箱モノを作って見せモノをすれば、お客が来た。ベトナム戦争や公害はあったが、未来は果てしなく明るいと思っていたものだ。

しかしそれから半世紀余、我々日本人は挫折も味わい、失望もし、天変地異にも遭って、ずいぶんすれっからしになった。要するに希望よりも現実を見るようになったし、未来についても悲観的になった。
そういう時代にはそういう時代のイベントがあるはずだし、テーマも、カネの使い方もあるはずだ。しかし、大阪は相変わらず箱モノを作って、子供だましを並べて客を呼ぶようなイベントをしようとしている。
今回の万博で最悪なのは「いのち輝く未来社会のデザイン」と言うコンセプトだろう。パンデミックが起こり、異常気象が起こり、戦争さえも起こっている中で、こんな上滑りな言葉を恥ずかしげもなくひけらかす無神経さ。
主催者はオリンピックよろしく、利権構造を作って自分たち周辺が潤えばいいと思っているのだろうが、そういう仕組みはとっくに知れ渡っている。

海外パビリオンの建築申請が未だにゼロなのは万博開催が決まってから今までの直近の2,3年の間に、新型コロナ禍、ウクライナ戦争、異常気象などとんでもない事件が頻発し「それどころではない」事態に陥っているからだろう。

一度決めたものは、途中で変更できない硬直した日本と言う国は、世界情勢の変化をうまく取り込むこともできず「勘の悪い国」として、おそらくは張りぼてのようなパビリオンをごてごてと造って、協賛企業が買わされたチケットをばらまいて、2800万人と言う目標数を達成して「大成功」と自賛するのだろう。

今度の大阪万博は、日本が、成長するアジア、アフリカの新興国の「馬群」に呑み込まれてどこにいるかわからなくなるきっかけになるのではないか?

日本人はますます「昔話が好きになる」し、「自分たちで日本の良さを褒めたたえる」ようになるだろう。そして、日本を追い抜いて成長する国々に無関心になるだろう。



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