横浜の「疑惑の敗戦」について、多くの声が寄せられるだろう。
その大半は「審判の誤審」を責める声だろう。しかし、先ほども言ったが、これは「誤審」ではない。プレーのジャッジは最終的に審判が行う。審判が行った判断が、絶対であって、それ以上のものはない。
もちろん、ビデオを再生してみて「間違っている」かのように見える可能性はある。しかし事実関係がどうであれ、審判が判断したことが最終になるのは揺るがない。
野球と言う「競技」が成立するのは、選手、審判、指導者がそのルールを承知し、そのルールに従ってプレーすることが前提になっている。「審判のジャッジが最終判断」と言う前提を崩してしまえば、競技は成り立たない。
「高校球児たちの人生がかかっている」「甲子園に出るか出ないかでは、球児たちの運命が変わってしまう」そんなことは、知ったことではない。
高校野球は、あくまで「高校部活」の一つであり、教育の一環だ。その大会がどれだけ大げさなものになったとしても「たかが部活」であり、あえて言うが、その勝敗は「さして重要なもの」ではない。

それよりも大事なことは「スポーツのルールを守り」「その結果に従う」ことを学ぶことだ。
選手が失策をするように、審判だってミスジャッジをする可能性はある。しかし失策が野球のプレーの一つであるように、審判のミスジャッジも「試合の内」である。それが意図的でない限り、甘受する以外の選択肢はない。
試合が終わってから大の大人が文句をつけるのは「スポーツの何たるか」がわかっていないとしか言いようがない。
こういうことが起こると「ビデオ判定」はては「AIの導入」を言い出す人がいるが、ビデオ判定後のプロ野球でも審判のジャッジに対して文句が出ているように、AIを導入しても不平不満の声は出る。今は「AI様は万能」であるかのように言っている人も「見た目がアウト」「AI判定はセーフ」みたいなジャッジが出れば「人間じゃないんだから、本当の判断はできない」みたいなことを必ず言いだすものだ。
「不完全な人間がするプレーを不完全な人間がジャッジする」という前提を受け入れない限り、この問題は解決しない。
審判を無能であるかのように言い募る人間に、スポーツを語る資格はない。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!



先発全員奪三振達成投手/1994~2023
もちろん、ビデオを再生してみて「間違っている」かのように見える可能性はある。しかし事実関係がどうであれ、審判が判断したことが最終になるのは揺るがない。
野球と言う「競技」が成立するのは、選手、審判、指導者がそのルールを承知し、そのルールに従ってプレーすることが前提になっている。「審判のジャッジが最終判断」と言う前提を崩してしまえば、競技は成り立たない。
「高校球児たちの人生がかかっている」「甲子園に出るか出ないかでは、球児たちの運命が変わってしまう」そんなことは、知ったことではない。
高校野球は、あくまで「高校部活」の一つであり、教育の一環だ。その大会がどれだけ大げさなものになったとしても「たかが部活」であり、あえて言うが、その勝敗は「さして重要なもの」ではない。

それよりも大事なことは「スポーツのルールを守り」「その結果に従う」ことを学ぶことだ。
選手が失策をするように、審判だってミスジャッジをする可能性はある。しかし失策が野球のプレーの一つであるように、審判のミスジャッジも「試合の内」である。それが意図的でない限り、甘受する以外の選択肢はない。
試合が終わってから大の大人が文句をつけるのは「スポーツの何たるか」がわかっていないとしか言いようがない。
こういうことが起こると「ビデオ判定」はては「AIの導入」を言い出す人がいるが、ビデオ判定後のプロ野球でも審判のジャッジに対して文句が出ているように、AIを導入しても不平不満の声は出る。今は「AI様は万能」であるかのように言っている人も「見た目がアウト」「AI判定はセーフ」みたいなジャッジが出れば「人間じゃないんだから、本当の判断はできない」みたいなことを必ず言いだすものだ。
「不完全な人間がするプレーを不完全な人間がジャッジする」という前提を受け入れない限り、この問題は解決しない。
審判を無能であるかのように言い募る人間に、スポーツを語る資格はない。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!

先発全員奪三振達成投手/1994~2023
コメント
コメント一覧
ただ、その原則は、ファーストジャッジへの抗議制度と決して矛盾しないと思います。
広瀬一郎氏も「選手にとっての審判は、警察であり、指導者であり、仲間でもある。(一部中略)しかし、抗議をすることが絶対的に許されないわけではない。相手の立場に立って対応せよ。」という趣旨の発言をしています。
実際に、テニスなどでは抗議時の振る舞いも含めたスポーツマンシップ教育がなされています。
人でもAIでも完璧なジャッジなど絶対に存在しないことを理解する。そのうえで互いに紳士的に判定を検証できる制度の方が建設的であると思います。
アマボクシング界で一時期、あの山根会長他の露骨な奈良判定がありましたが、彼らは追放されました。
高野連にそんなジャンパイアのような審判は居ません。よって怪しい判定をされた野球部員、選手は気の毒ですがある意味、それもスポーツの一面でもあるわけです。
抗議のルールについては改善の余地があるでしょう。しかし現時点ではそれがないのだから、試合後に指導者が「あの判定はおかしい」と言うのは正しいとは言えない。
個別の事例とは別個に「抗議のルールの見直し」を提案するのならわかります。
今回のケースは劇的な展開と合わせて耳目を集めていますが、これを機に抗議ルールの見直しにまで突き進んでしまうのは、あまりに感情的だと思います。
さも当たり前かのように「ジャンパイア」と言ってる貴方も、山根氏と根本的な部分は同じだと思いますよ。
昔から、スポーツを真剣に応援する人は、審判の判定に不服を持つことが多々あり、時には物議を醸したものだと思います。
ところが、現代は動画による検証情報が瞬く間に広まってしまうから、問題になりやすいのではないでしょうか。
1969年の日シリの土井のホームインのように、たった一枚の写真が審判の正しさを証明するといった出来事がありましたが、普通は基本的にTV映像も荒く、証拠のないまま、結局は審判が正しいとして、うやむやに進行できました。
判定が翻るなんて、まずありえなかったですよね。
こんな世の中ですから、他のスポーツでもビデオ判定を導入したのは仕方のない事なのではないかと思います。
それどころか技術が進んでいるこの世の中で、技術を導入しながら発展する姿勢をみせないと、そのスポーツから人がどんどん離れていくのではないかと、心配してしまいます。
難しいですね。
まずはこれ読んでコメントください。
http://baseballstats2011.jp/archives/60698540.html
しかし、実態としての部活動は、プロ競技の団体へ選ばれるために、試合で勝って実績を示すものになっています。
審判の結果が「学生の未来を変える」という意見は、一面的に事実ではありますが。しかしその前に学校の部活動の試合が将来を左右するものになっていることそのものに疑問を持つのが道理と思います。
この問題の解決は難しいです。大会での結果を目指し、プロ団体への人材輩出を目的とした「ガチ」の部活動をやりたい人は多数います。それは教師、生徒、保護者に留まらず地域の大人までもに「ガチ」を望む人がいます。
個人的な所感ですが、部活動はすべて廃止して、スポーツはクラブチームで行なってもらうことが、この根深い部活動問題を解決しきる唯一の手段だと考えます。
日本人は「ガチ」が偉くて「遊び」はダメと思いがちです。くだらないと思います。
おっしゃる通りです。
特に当事者は、審判に異を唱えるのは間違いです。
(異を唱えてしまうのも不完全な人間の性かもしれませんが。)
ただ、私の心配は現代社会ではほぼ全員がスマホを持ち、多くの観戦者が問題のプレーの動画をSNSにアップロードできてしまうことです。
問題の県大会決勝のシーンも多くの動画が上がってしまってます。
そういう衆人環境にさらされながらジャッジをする審判の負担は広尾さんの言う通り、成りてもなくなってしまうような厳しいものと思います。
烏合の衆が「正解」が違うという証拠を盾に匿名で説教を垂れるのに、「スポーツを見る資格がない」の言葉だけでは解決に向かわない気がしたのです。
だからといって、ITに判定をゆだねるとして、そんなことはプロスポーツですら、コスト的にも現状ではやっとできるかどうかだと思いますし、そもそも、「故意」などの人間でないと判定できないプレーもあるはずです。
難しい問題だと書かせてもらいまししたが、動画や情報の拡散技術が進んでしまった以上、今のままでは心配と感じたわけです。