昨日のコメントで「高校野球は軍隊式で気持ち悪い」というのがあった。当然の話だと思う。野球だけでなく、日本の運動部活は「軍隊式」でやってきたが、それが制度疲労を起こしつつあるのだから。
日本のスポーツ界に「軍隊式」が本格的に入ってきたのは、戦後になってからだ。
戦前、スポーツはエリートのものだったが、戦後、教育の大衆化が進んだ。
そのタイミングで終戦で戦地から引き揚げてきた兵隊の一部が教員になった。彼らが教育のいろいろな現場に「軍隊式」を導入したのだ。

戦後の教育界は「民主主義教育」によって一変したはずだが、教育界のさまざまなポジションに「軍隊上がり」が座って、自分たちが軍隊でやってきた「上意下達」のスタイルを導入したのだ。

高校野球は戦後スポーツでも最も発展した分野だったが、それを推進したのは「軍隊上がり」だった。監督や先輩には絶対服従、鉄拳制裁も暴言もあり、勝つためにはすべてを犠牲にする。それはまさしく「軍隊式」だった。

実は戦後の高度経済成長を推進したのも、兵隊上りのサラリーマンだった。「滅私奉公」「粉骨砕身」の精神で企業を大きくしたのだ。まさに「企業戦士」である。
高校野球を経験した若者は、すでに「軍隊式」にどっぷりと浸かっていたから、高度経済成長期の企業にとっては「理想の人材」だった。

高校野球の大繁栄の背景には「甲子園に出たような筋金入りの球児は、社会人でも即戦力」という図式が横たわっていたのだ。「甲子園」「試合に勝つこと」が「出世」「社会の発展に貢献」することにつながる。そういう無邪気で幸せな関係が長く続いたのだ。

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しかし高度経済成長期から成熟期を経て、日本も世界も複雑になっている。今求められるのは「誰かの言うことを無批判に聞く」人材ではなく「自分で判断する」人材だ。昔の企業戦士が、完全に時代遅れになったのは昨今のビッグモーターの騒ぎを見てもわかるところだ。

「軍隊式」がなぜだめなのか?それは、軍隊の目的が「個々の幸福」ではなく「組織の勝利」だからだ。軍隊は人を鍛え上げるが、それは「立派な人材」を育てるためではない。「命を投げ出してでも目的を完遂する兵士」を育てるためだ。民主主義国家にも軍隊があるが、軍隊では一時的に「個々の人権」よりも「各人の幸福」よりも「目的完遂=勝利、あるいは外敵の撃退」が優先される。

「軍隊式」では、個々人が様々な疑問を抱いたり、異議申し立てをしないように、恐怖、恫喝、暴力などの手段を用いて「感性を鈍麻」させ、「主体性」を減退させる。だから「軍隊式」で育てられた人間は目上に対して異様に従順で、目下に対しては残忍なまでに高圧的になれるのだ。

高校野球の「坊主頭」「バカ声の返事」「大げさな挨拶」などは「軍隊式」の残滓だと言える。慶応高校をはじめ、多くの高校で「軍隊式」を廃止しているのは、遅ればせながら喜ばしい。
慶応高野球部の選手と話をする機会があったが、ごく普通の高校生であり、兵隊臭さはなく、まともである。

「坊主頭」を高校生らしいと思い、炎天下を大声で走り回る球児を「清々しい」とか「青春」とか言っている人は、自分がアップデートできていなくて、陳腐化しつつあることを痛感すべきだろう。



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先発全員奪三振達成投手/1994~2023