1つのプレー、1つのジャッジに、しつこく異議を唱える人がいるのは「1勝の重さ、価値」をものすごく大層なもののように思っている人が多いからだ。
件の横浜ー慶應戦は、神奈川県選手権大会の決勝であり、夏の甲子園の出場権をかけた大一番だった。勝てば甲子園、負ければ敗退、シーズン終了。その9回に起こった問題の判定だったのだから、騒ぎが大きくなったのだ。
しかし、勝敗は時の運だ。審判のジャッジも「勝敗」の要素であり、仮に疑惑が残る判定であっても、それも「野球の内」なのだ。
辛勝した慶應が夏の甲子園を勝ち進み、優勝までしてしまったから、話が大きくなったが、試合は「ゲームセット」が宣せられれば、あとは何が起こっても判定は変わらない。スポーツとはそういうものだ。
それをいつまでもぐじぐじ言うのは「スポーツの本当の意味」を知らない素人だと言える。スポーツは博打でもないし「勝負事」でもない。負けたことも含めて、その中身を楽しむことが本質だ。

こうした判定に文句を言う人が多いのは、高校野球は「トーナメント」を基本にしているからだ。負けたらおしまい。勝たなければ次の展開が開けない。だから何としても勝とうとする。
もちろんスポーツは「勝利を目指す」ものではあるが、それは相手チームとて同じであり、ともに「勝ちたい」のは同じだが、勝者は一人だけだ。だから選手は「勝つこと」を思うとともに「負けること」そして「相手が負けること」も思わなければならない。「勝っても負けてもスポーツをした意義」をそのまま受け止めるだけの「覚悟」が必要だ。

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何度も言ってきたが、野球はアメリカの東海岸で「リーグ戦」として発達してきた。
日本にやってきたときも、リーグ戦で、東京六大学もリーグ戦だった。
たまたま高校野球(中等学校野球)を創設した朝日新聞社が「トーナメント」を考え出して、それが「一戦必勝」で盛り上がったために「高校野球はトーナメント」が定着したのだ。

しかし「負ければおしまい」のトーナメントは、勝利への「過度の固執」を生む。勝敗に潔くない、貧の悪い態度、マナーを生む。

海外で、日本の高校以下のアマチュア野球の評判が悪いのは「勝ちに異常にこだわる」からだ。
少年野球の指導者は、海外で「お前らは確かに強いけど、俺たちはお前らのような野球は絶対にしない」と言われることもあるのだ。

審判に対する執拗な抗議、試合が終わってからの避難などは、スポーツマンにあるまじき醜態だ。

野球は「勝ったり負けたりするスポーツだ」という真実をみんなが理解しない限り、野球の将来は開けない。




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先発全員奪三振達成投手/1994~2023