海外にそれ程足しげく言っているわけではないが、若いころは日本に比べて万事大雑把なアメリカや中国、韓国、台湾を見て「早く日本のレベルに追いつけよ」的なことを思っていたが、今はそうは思わなくなった。
4年ぶりに韓国に行って、ソウル近辺の町をうろうろして感じたのは、依然として韓国は埃っぽく、精度感がない、ということだった。
韓国にもコンビニエンスストアはあるが、日本資本のコンビニでも、ウィンドーは薄汚れている。品ぞろえは貧弱で、とりわけスイーツのレベルは雲泥の差だ。いわゆる外食の店舗でも、サービス、品質ともに日本とはかなりの差がある。個人的にはコーヒーがまずいのには閉口した。

恐らく韓国は台湾と並んで最も日本に近いメンタル、文化、生活感覚を持った人々のはずだ。それでも我々日本人からすれば大きな隔たりを感じる。端的にいえば「精度感」が全くないのだ。
コロナ前の2019年の印象と比べても「何も進化していない」という印象だ。
しかし、韓国もおそらくは台湾も「日本の後追いをすること」はもうやめているのではないか。
街がごみごみしているのは、都市がまだ発展を続けているからだと思うが、経済成長を続けるうえで、日本流の精度感は必要ないのではないか。

日本は海外の人にとって「観光で行きたい国」のトップランクに位置している。最近は観光名所ではなく、何でもない街の「清潔さ」、コンビニの品ぞろえと品質の高さ、そしてホテルやレストランのホスピタリティの高さ。いわば「生活の質」の高さに驚嘆しているのだ。
しかしながら、外国の人々は、もはや「日本に学び、その美質を取り入れよう」とはしていないのではないか。
本音を言えば「日本人はなぜ、俺たちがそこまで望んでいないのに、サービスしてくれるんだ?甘けりゃいいだけのスイーツが、なぜこんなに手の込んだ味になっているんだ?」ということではないか。
彼らの国で同じクオリティを求めれば、そのコストは跳ね上がってしまう。しかし日本人は、それを「サービス」のうちに加えて、必要以上に細やかで丁寧なサービスをしてくれる。
日本人は海外からの来訪者が「日本のサービス」「品質」に驚嘆し、誉めそやしてくれることに無上の喜びを感じ、やりがいにしてきた。「Cool Japan」など自分たちの「すごさ」「素晴らしさ」を自慢してきた。時には「江戸しぐさ」のように、ありもしない「マナーの伝統」さえひけらかしてきた。
しかし、その「品質の良さ」は、経済活動とはほとんど結びついていない。人々に買われるために品質を向上させると言う面を越えて「企業や自身のプライド」として、必要以上にサービスのクオリティを上げ、きめ細かな「細工」を施すようになった。
黒澤明が「赤ひげ」で、画像に写らない箪笥の中身まで作りこませたことは、映画人の美談になっているが、そうした必要以上の「こだわり」「作り込み」こそが日本人の美質だと自身で吹聴するようになったのだ。
特に経済が斜陽化してから、そうした日本人の「美質」を自ら喧伝する動きが盛んになった。箱庭のようにちまちました「品質の高さ」を誇らしく思うようになったのだ。
しかし必要以上の品質は、経済競争ではマイナスだ。
自衛隊の10式戦車は、俊敏性でドイツの「レオパルト2」を上回ると言われているが、日本は憲法の関係でウクライナ支援のために武器供与することはできない。
しかしそれ以上に「運用性」の問題で、日本の戦車は「戦場で役に立たない」と思われているのだ。
日本の戦車の細かなパーツは、三菱重工につらなる1000社もの部品メーカーにゆだねられている。ひとたび故障すれば、そのメーカーから部品を調達しなければならない。しかし他の国の戦車は、数社のサプライヤーの部品から成っていて、故障したり被弾すれば、すぐに対応できるようになっている。


トヨタを頂点とする日本の自動車は、例えばシャーシ一つとっても数百社の関連会社の細かなパーツから成り立っている。しかしテスラは、あたかも石鹸箱のように数パーツの部品から成っている。精度感はトヨタの方が上かもしれないが、経済性、故障への対応性で、日本の自動車メーカーはこうした新しいメーカーに太刀打ちできない。
日本の家電は新しい製品になればなるほど新たな機能を付加され、どんどん性能が上がってきているが、価格も上がっている。しかし海外の家電は「基本性能」に徹して、価格も抑制されている。
結果的に、海外の家電の方が売れている。
日本の「品質」「マナー」は、それを「価値がある」と思う人がいればこそ成立する。しかし、海外の人々は日本人の「品質」を珍重こそすれ、本質的には評価していない。
「日本人は、いろんなことで異様に気が付いて品質が良く、サービスも素晴らしいんだ。しかもこんなに安い。俺たちはとても真似できないが、日本に入ったら奴らの『奇妙な風習』を楽しもうぜ」
ということになっているのではないか。「箱庭ニッポン」は、もはや行き詰っていると思う。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!



先発全員奪三振達成投手/1994~2023
韓国にもコンビニエンスストアはあるが、日本資本のコンビニでも、ウィンドーは薄汚れている。品ぞろえは貧弱で、とりわけスイーツのレベルは雲泥の差だ。いわゆる外食の店舗でも、サービス、品質ともに日本とはかなりの差がある。個人的にはコーヒーがまずいのには閉口した。

恐らく韓国は台湾と並んで最も日本に近いメンタル、文化、生活感覚を持った人々のはずだ。それでも我々日本人からすれば大きな隔たりを感じる。端的にいえば「精度感」が全くないのだ。
コロナ前の2019年の印象と比べても「何も進化していない」という印象だ。
しかし、韓国もおそらくは台湾も「日本の後追いをすること」はもうやめているのではないか。
街がごみごみしているのは、都市がまだ発展を続けているからだと思うが、経済成長を続けるうえで、日本流の精度感は必要ないのではないか。

日本は海外の人にとって「観光で行きたい国」のトップランクに位置している。最近は観光名所ではなく、何でもない街の「清潔さ」、コンビニの品ぞろえと品質の高さ、そしてホテルやレストランのホスピタリティの高さ。いわば「生活の質」の高さに驚嘆しているのだ。
しかしながら、外国の人々は、もはや「日本に学び、その美質を取り入れよう」とはしていないのではないか。
本音を言えば「日本人はなぜ、俺たちがそこまで望んでいないのに、サービスしてくれるんだ?甘けりゃいいだけのスイーツが、なぜこんなに手の込んだ味になっているんだ?」ということではないか。
彼らの国で同じクオリティを求めれば、そのコストは跳ね上がってしまう。しかし日本人は、それを「サービス」のうちに加えて、必要以上に細やかで丁寧なサービスをしてくれる。
日本人は海外からの来訪者が「日本のサービス」「品質」に驚嘆し、誉めそやしてくれることに無上の喜びを感じ、やりがいにしてきた。「Cool Japan」など自分たちの「すごさ」「素晴らしさ」を自慢してきた。時には「江戸しぐさ」のように、ありもしない「マナーの伝統」さえひけらかしてきた。
しかし、その「品質の良さ」は、経済活動とはほとんど結びついていない。人々に買われるために品質を向上させると言う面を越えて「企業や自身のプライド」として、必要以上にサービスのクオリティを上げ、きめ細かな「細工」を施すようになった。
黒澤明が「赤ひげ」で、画像に写らない箪笥の中身まで作りこませたことは、映画人の美談になっているが、そうした必要以上の「こだわり」「作り込み」こそが日本人の美質だと自身で吹聴するようになったのだ。
特に経済が斜陽化してから、そうした日本人の「美質」を自ら喧伝する動きが盛んになった。箱庭のようにちまちました「品質の高さ」を誇らしく思うようになったのだ。
しかし必要以上の品質は、経済競争ではマイナスだ。
自衛隊の10式戦車は、俊敏性でドイツの「レオパルト2」を上回ると言われているが、日本は憲法の関係でウクライナ支援のために武器供与することはできない。
しかしそれ以上に「運用性」の問題で、日本の戦車は「戦場で役に立たない」と思われているのだ。
日本の戦車の細かなパーツは、三菱重工につらなる1000社もの部品メーカーにゆだねられている。ひとたび故障すれば、そのメーカーから部品を調達しなければならない。しかし他の国の戦車は、数社のサプライヤーの部品から成っていて、故障したり被弾すれば、すぐに対応できるようになっている。
トヨタを頂点とする日本の自動車は、例えばシャーシ一つとっても数百社の関連会社の細かなパーツから成り立っている。しかしテスラは、あたかも石鹸箱のように数パーツの部品から成っている。精度感はトヨタの方が上かもしれないが、経済性、故障への対応性で、日本の自動車メーカーはこうした新しいメーカーに太刀打ちできない。
日本の家電は新しい製品になればなるほど新たな機能を付加され、どんどん性能が上がってきているが、価格も上がっている。しかし海外の家電は「基本性能」に徹して、価格も抑制されている。
結果的に、海外の家電の方が売れている。
日本の「品質」「マナー」は、それを「価値がある」と思う人がいればこそ成立する。しかし、海外の人々は日本人の「品質」を珍重こそすれ、本質的には評価していない。
「日本人は、いろんなことで異様に気が付いて品質が良く、サービスも素晴らしいんだ。しかもこんなに安い。俺たちはとても真似できないが、日本に入ったら奴らの『奇妙な風習』を楽しもうぜ」
ということになっているのではないか。「箱庭ニッポン」は、もはや行き詰っていると思う。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!

先発全員奪三振達成投手/1994~2023
コメント
コメント一覧
日本の民度が高いとかいうが、そういう部分もあるだろうけど、社畜という言葉があるように、実は日本人は、権力者に都合のいいように飼い慣らされているようにも思います。
だから、反抗もできず、こき使われて、過労死していく。
政府のろくでもない政治にも、文句もいわず、だまって従い続ける。
というか、むしろ野党をくさして政府を持ち上げる始末。
見事に飼い慣らされてますわ。
「憲法の関係でウクライナ支援のために武器供与することはできない」というのもあなたの勝手な思い込みでそんな事実は何処にもありません。
初版の情報を入手したうえで、私はそのように理解していますが、そうでないのなら、お手数ですが説明をお願いします。
防衛装備品をウクライナに送ることでさえ、議論の余地があるのに戦闘に直接使用する武器、戦車を提供するのは、現実的に不可能だと思いますが?違うんですかね?
逆に「数社のサプライヤーの部品から成ってる」というデタラメな話の根拠が知りたいですね。
レオパルト2に関して手っ取り早くドイツ語のWikipediaを見ると、合計1,500社が製造に参加したとあります(Wikipedia自体の信用度はともかく出典としてPaul-Werner Krapke: Leopard 2. Sein Werden und seine Leistung. ISBN 3-8334-1425-1, S. 66.との記載があります。)
それと日本がウクライナに対する本格的な武器供与をしていないのは憲法の問題ではなくて政府の政策上の判断に過ぎません。
今の世論を見ればその判断が難しいのは事実でしょうが、やる気になれば必要なのは閣議決定ぐらいで憲法どころか法律を改正する必要もないはずです。
戦闘によって破損した戦車の修理、部品交換に関するサプライヤーの体制で、日本とドイツなどは大きな違いがあると読んだ記憶があります。例えば自衛隊の戦車が、ドイツのレパルト2のように、戦地での運用が即、可能なのでしょうか?
武器供与の問題については、安倍政権に時代になし崩し的に可能にしようとした経緯がありますが、今も閣議決定だけでの武器供与は事実上不可能です。自民党内にも憲法違反だとする勢力が宏池会を中心に多数存在しています。
私は「他の国の戦車は、数社のサプライヤーの部品から成っていて」というあなたの主張が大嘘であり、「日本は憲法の関係でウクライナ支援のために武器供与することはできない」などどいう事実はないという指摘をしただけです。
あなたは「他国の戦車が数社のサプライヤーによって製造されている」、「日本のウクライナに対する本格的な武器供与には憲法改正かそれに準じた手続きが必要である」という根拠を示せばいいのであって、それが出来ないならデタラメな主張をしていたという結論になるだけです。
確かにそういう記事を読んだ覚えがあるので、そう書いたのですが、今それが見当たりません。ただ、趣旨は日本の戦車は、サプライチェーンの問題で他国の戦車のように実戦に役立たないということです。テスラとトヨタと関係と同様に。
それから日本国憲法の理念に基づく「武器輸出三原則」の観点から、紛争当事国への武器輸出はできません。安倍晋三がそれをなし崩し的に骨抜きにしようとしましたが、それは実現していません。
閣議決定でウクライナに武器輸出することはできません。
武器輸出をするために、憲法改正が必要かどうかというのは別の問題ですね。
安倍晋三は憲法改正の前に、憲法解釈を捻じ曲げることで武器輸出が可能であるかのような詐術を使おうとしましたが、自民党でもこれを問題視する声が圧倒的に多かったと記憶しています。
いずれにしても日本の武器は、そんなに簡単に戦争で使用できないとは思います。
なんかすごい剣幕ですが、日本は戦争できる国にはなっていません。近い将来、戦争に巻き込まれる時が来るとは思いますが。