IOCは2030年冬季五輪の開催地を、来年7月下旬に開幕するパリオリンピックまでに決める方針を示してきた。もう少し遅れる可能性もあったが、今の日本、北海道の人々が「日本で、札幌で五輪を」に賛同する機運は全くなかった。
何と言っても2021年に開催された東京五輪が、大きなトラウマになっているだろう。
コロナ禍の真っただ中、最も毒性が強いと言われたデルタ株が蔓延する中で強行された五輪は、このイベントが誰のために、何のために行われているのか、という問いかけを日本国民に与えた。

多くの競技が観客なしで行われた。関係者だけが座る静かなスタジアムの姿が連日放送され、結局これこそが「五輪の姿」であり「一般の人々はいてもいなくても良い存在だったのだ」ということに気が付き始めたのだろう。

そして五輪終了後、恐らくは安倍晋三という体制維持の守護神がいなくなったこともあって、電通を主体とする談合、汚職などスキャンダルが噴出した。
要するに五輪が、税金を使って箱モノを建設して、空騒ぎをして関与した企業が収益を得るという利権構造のビジネスモデルだったことが「事大主義」の日本人にも、広く認知されるようになったのだ。

このビジネスモデルからは、アスリートさえも除外された。五輪というビジネスでは、彼ら彼女らも「舞台装置」でしかなかったのだ。

経済的な地盤沈下に悩む北海道、札幌市にとっては、五輪招致は独参湯のようなものだっただろうが、日本人は馬鹿ではない。ほとんどの人と関係がないビジネスモデルのために、踊らされるのは沢山だという気持ちが蔓延して、今回の決定に至ったのだ。

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札幌市など招致委員会は、2034年の招致を目指しているとしたが、国民を愚弄している。「今は五輪反対とか言っているが、あいつらはバカだから時間が経てばすぐに忘れるさ」という底意が見て取れる。

しかし2034年までに、日本で「五輪機運」が盛り上がる可能性はあまりないだろう。
ネットや通信が発達して、別に国内でスポーツの大イベントを開催しなくても、日本国民は大いに盛り上がることができる。サッカーのワールドカップ、WBC決勝ラウンド、来年のパリ五輪もそうだろう。
日本でやれば、多くの税金が浪費されるし、交通渋滞など様々なトラブルも起こる。汚職も蔓延する。海外のイベントではそういう「汚泥」は、はるかに小さくなるのだ。

日本の主要メディアは、五輪の利権に加わっているから、ネガティブキャンペーンはしてこなかった。しかし日本国民は、そうしたメディアの構造も知ったうえで、五輪にNOを突き付けたのだ。

これからの五輪は、多様な意見が存在する民主主義国家ではなく、中国や中東の産油国など、言論の自由がない全体主義国家のイベントになっていくだろう。IOCのバッハ会長も、彼らに秋波を送っている。
五輪そのものが改革されない限り、日本で五輪をする必要はないだろう。

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