「罰走」といえば、阿部慎之助巨人次期監督の顔が浮かぶ。
2020年3月22日、プロアマ交流戦で早稲田大学に敗れた巨人2軍選手に、当時の阿部慎之助二軍監督は「1時間の罰走」という「刑を科した」わけだ。

また立浪和義監督の中日では、8月25日のDeNA戦最終回に62球を投げて8安打5四死球10失点を喫した、近藤廉が、二軍に落とされた翌日、ナゴヤ球場で外野ポール間走200本をしたという。酷暑の時期にこうした無茶なトレーニングをすれば、下手をすれば命にかかわる。

近藤の件は「コーチと本人が相談して決めた」とのことでコーチは「それなら気の済むまで走れ」と指示したとのことだ。「罰走」でないといいたいのだろうが、近藤簾は「自分を罰するため」に走ったことになるだろう。

「罰走」が罪深いのは、本来「トレーニングの一環」であり、自分から進んで行うべき「ランニング」を「強制的な罰則」にしてしまうことにある。
ランニングは、心肺能力を高め、足の筋力を増強し、下半身の安定性を高めるなど、アスリートにとって有益なトレーニングではあるが、走る距離や強度、インターバルなどは個々の基礎体力や能力に応じて選択すべきものだ。
「なんでもいいからとにかく走れば、身体が鍛えられる」極めて野蛮な考え方だ。

「罰走」を科す側の理屈としては「本当ならぶん殴ってるところだが、その代わりに走らせてやる。その間に反省しろ。走れば鍛えられるんだから、ありがたいと思え」みたいなところだろうか?

「練習」をやらされるもの、強制際されるもの、本当はやりたくない嫌なもの、と見なす昔の体育会系ならではの発想だろう。

まともなアスリートは、自分のトレーニングの計画を持っている。ランニングにしても他のトレーニングにしても、自分のプランがあり、それに則って体つくりをしている。「罰走」など迷惑でしかない。

「そこまでいかないレベルには、強制的に練習させるしかないんだ」というかもしれないが、練習メニューを自分で構築できるように教育することと、「罰走」は、全く相反する考え方だ。

IMG_9431


ソフトバンクホークスは、キャンプの初日に「15分走」を科すのが恒例になっている。これには賛否あるが、結局「走らされないと、練習モードに切り替えることができない」レベルの低い選手がたくさんいることを意味している。選択制にすべきだと思っている。

「罰走」を科すようなチームには、まともな選手は行きたくないと思うだろうし、長期的に見れば選手が育たないだろう。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!



NOWAR




1972年外木場義郎、全登板成績【3度目の無安打試合達成】