今朝の「サンデーモーニング」で落合博満は言っていた。非常に興味深い見方だと思う。
日本野球においては、監督は実際には指揮官と総合コーチを兼務する役職だった。
試合では作戦の指揮を執るが、同時に練習の監督をし、場合によっては個々の選手の指導までしてきたのだ。その点では、高校野球の監督と大差がない。

そもそも日本のプロ野球では1950年代まで、コーチという役職はなかったのだ。1951年の讀賣ジャイアンツは水原茂監督だけ、翌52年に内堀保が二軍監督になり、1953年に谷口五郎、久保木清(選手兼任)がコーチになった。他球団もほぼ同じ時期にコーチという役職を設けたのだ。それ以前は監督が一人で選手の指導をして、試合の指揮も執っていたのだ。試合前には監督がノックバットを振っていたのだ。

その伝統があるから日本野球では「監督は教えるもの」という先入観があったが、MLBではかなり以前から、監督は指揮官と、文字通りの「マネージャー」になっていた。要するに、MLBの監督はロースターを決めて、そこから出場選手を選んで、試合になれば指揮を執っていた。
メジャーリーガーは「完成された選手」だから、監督が「教える」ことなどない。監督に必要なのは、選手が高いモチベーションを維持して試合に臨めるように「マネジメント」することなのだ。

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WBCなどの大会では、各チームから一線級の選手がやってくる。すでに完成された選手ばかりだから、技術面などで「教える」ことはない。もちろん、投打のフォームなどで気が付くことがあれば「アドバイス」することはあるだろうが、自分の考えを強制することはない。「教えない」のだ。

しかしそれでも、侍ジャパンに来るような「意識高い系」の選手は、貪欲に技術や知識を身につけようとする。この間のWBCでは、ダルビッシュや大谷翔平からNPBの選手は多くの物事を学んだのだ。
昔の監督なら「選手同士で教え合わず、俺の言うことをきけ」くらい言ったかもしれないが、栗山英樹監督は自分の使命、役割を知っているから、こういう形でチームが一丸になることを大いに歓迎したわけだ。

侍ジャパンの監督は「教えない」。しかし何もしないのではなく、絶妙のマネジメントで寄せ集めのチームを「まとめていく」。難しい役割なのだ。

落合博満はやや不満げに「教えちゃいけない」と言っていたように感じたが、さすがに本質をついている。



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