やや旧聞だが、10月11日に死去した。打撃の良い二塁手と言う印象だ。
浪商から明治大を経て1965年の第1回ドラフトで阪急に入団した。

キャリアSTATS

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1年目から森本潔と二塁手のポジション争いをする。出世は高校同期で、近大を中退して1964年に入団した大熊忠義より早かった。

西本監督のもと、レギュラーに定着するかと思えたが、以後は山口富士雄、さらにはエイディア、ソーレルと外国人選手にポジションを奪われ、代打が多くなる。

しかし1973年、正二塁手として初めて規定打席に到達、ここからかと思えたがボビー・マルカーノの加入で出番が減り、1975年、32歳で引退。割とあっけなかった。

強かった西本阪急の「脇役」という印象だが、何と言っても史上唯一の「無補殺三重殺」を達成したことで球史に残る。

私はこれを宇佐美徹也さんの本で知った。そのまま掲載する。

一人で三重殺をやってのけたのが、42年、阪急の住友平二塁手だ。
7月30日の東京戦の2回裏東京の攻撃は無死一、二塁でヒットエンドランがかかったが大塚弥寿男の当たりは二塁左へのライナー。ボールを捕った住友はそのままベースを踏んで2死、さらに勢いがついて目の前に走ってきた一塁走者の篠原良昭にタッチして3死、史上初の記録とした。(プロ野球データブック)1995


読んだのはずっと前だったが所収はデータブックだった。

この日は東京球場でのダブルヘッダーの1試合目、阪急の投手は米田哲也、こんな稀有な記録が出たのに負け投手になっている。

今に至るも住友しか達成していない記録。そのことで今後も記録の本には住友平の名前が載り続けることだろう。



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