私は月に1回、罹りつけの医者に行くが、開口一番は「どうよ、最近の阪神は?」である。私が野球関係の仕事をしていることを知っているので、そう聞いてくるのだ。
そして、べたべたの関西人である私が「阪神ファンでないことなど考えられない」と思っているからだ。この先生は、今夏の慶應高校の甲子園での活躍について話すと「何やそれ、知らんわ」と吐き捨てるように言った。

阪神ファンというのは「自分が阪神ファンであること」に、屈託がない。
「関西人なんやから、阪神を応援するのは当たり前やろが」
「東京もんに負けるか、と思うから、阪神を応援するねん」


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例えば、オリックスファンは、自分たちがオリックスを応援することに、いろいろな躊躇、ためらい、葛藤があった。
2004年の球界再編まで、このチームはオリックスと近鉄と言う別の球団だった。オリックスは神戸、近鉄は大阪を本拠地としていた。
もともとのオリックスのファンも、近鉄のファンも、葛藤があった。「関西言うたら、阪神や」という圧倒的に大きな声に抗て、パ・リーグの弱小チームのファンであり続けるに「俺は近鉄ファンや、オリックスファンや」ということを「自分に言い聞かせる」ことがしばしばあったはずだ。周囲にだれも話題にする人がいないような球団を応援するには「自らのアイデンティティを確認する」必要があったのだ。
かつては阪急、近鉄と言う電鉄系のライバル球団だったこの2球団が合併するにあたって、苦悶しなかった近鉄ファン、オリックスファンはいなかっただろう。多くはその時にファンをやめた。また「オリックスの中の近鉄を応援する」ことを標榜するために近鉄のユニフォームを着て球場に通う人もいた。
オリックス・バファローズのファンであり続けるためには「努力」が必要だったのだ。

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恐らくは地元に複数の球団がある関東でも同様だろう。あたかも自民党を支持するように巨人を応援する人が大多数な中で、ロッテやDeNAや西武やヤクルトを応援するには「理由」が必要なのだ。
長谷川晶一さんがあれほどヤクルトについて語り続ける根源には「語らなければヤクルトファンでなくなってしまう」ような、アイデンティティの「揺らぎ」があるからだろう。

その点、名古屋の中日、歴史は浅いが福岡のソフトバンク、仙台の楽天、北海道の日本ハムの各ファンには屈託はない。野球が好きで地元が好きなら「一択」だからだ。

とりわけ阪神ファンは、なぜか「阪神ファンであることをひけらかす」のだ。威張るのだ。
「わしらは関西じゃ、大阪じゃ、吉本と阪神が好きじゃ」と大声で言い、徒党を組んで騒ぐわけだ。「それくらい知っとるわい!」大阪の民放はそういう連中を焚きつける。夜郎自大と言うか。

28日から始まる日本シリーズはファンであることに何の葛藤もない「ずんべらぼんの阪神ファン」と山あり谷ありの時間を経て「オリックスファンであり続けてよかった」と噛み締めるオリックスファンの対決でもあるのだ。それも見てこようと思う。

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