日本人は何かといえば「伝統」と言いたがる。皇室が1500年以降も連綿と続き、日本独自の文化を守ってきたからで、それは誇りではあろうが、本来の伝統の時間のスケールは非常に大きい。
芸能で言えば、雅楽は1500年、能楽は800年、歌舞伎は500年、落語は300年、100年足らずの漫才などは「伝統芸能」とは言わない。芸術で言えば、茶道は800年、華道や香道は700年。

要するに何百年単位で技術や知識をつないできたジャンルを「伝統」というのだ。100年、150年程度のものは「社会にようやく定着した」と言っても良い。

スポーツの分野では、大相撲は相撲節会からなら1000年、今の興行になって400年、柔道や剣道はルーツになる武道はあったにしても150年ほど。伝統の武道をスポーツ化してからの歴史は野球と同じくらいなのだ。

重要なことは日本の「伝統」の多くは、「改革の連続」で維持されてきたということだ。例外的に雅楽は「宮内庁楽部」で1000年以上前の音楽がそのまま維持、継承されているが、能楽も歌舞伎も、茶道も、華道、香道も、改革者が出て、時代の動きに合わせてスタイルを変えてきたのだ。守るべきところは守り、改めるべきところは改める。その改革者から「新たな伝統」がスタートした。歌舞伎の9代目市川團十郎、落語の三遊亭圓朝、大相撲の初代梅ケ谷藤太郎などなど。

伝統とは「改革してこそ」維持継承されるという部分があるのだ。

翻って、日本の野球界には「伝統」を口にする人が結構いる。巨人対阪神を「伝統の一戦」といい、甲子園を頂点とする高校野球を「日本野球の伝統」とするような論調だ。
日本野球はたかだか始まって150年、プロ野球は87年、高校野球も110年を越えたところだ。まだ草創期の選手や指導者を知る人は存命中だ。大した歴史など有していない。

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「伝統」という言葉が興行的な権威付け、ブランディングに有効であるのなら、それは使ってもいいと思うが、思想、方針、方向性に影響するのなら、使わない方がいい。

「高校野球では、腕も折れよと投手が投げるのが伝統だ」「高校野球では選手はみな丸坊主で、監督の言うことに大声で返事をして忠実に守るのが伝統だ」とか言うのは、たかだか1世紀半の歴史しかない底の浅い「日本野球」を大げさに「ありがたいもの」に仕立て上げて、「自分たちの権威を守ろう」とする大人、指導者の姑息でつまらない浅知恵だと思う。
日本野球の「伝統」は、ほとんど僭称(身分を越えて勝手に称号をとなえること)に近い。ちゃんちゃらおかしいと思う。

重要なことは「社会の変化」に合わせて「勇気をもって変革する」ことだ。それができて、今生きている人のニーズに沿った形に変わることができることこそが「伝統への第一歩」だ。

怠惰な年よりの権威を守るために改革を拒絶するような競技は、本物の「伝統」になる前につぶれてしまう。そのことを認識すべきだ。



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