私はほぼ同世代だから、林真理子の出世を見てきた。1981年西友ストアーの広告で
「つくりながら、つくろいながら、くつろいでいる。」と言うキャッチでTCC新人賞を取ったのは強く印象に残っている。
業界以外の人にはわからないだろうが、TCC賞と言うのはコピーライターの芥川賞、直木賞で、私などには高根の花だった。一方で電通や博報堂の制作室に入れば「〇〇君、そろそろ新人賞の番だね」みたいな感じでメジャーな広告をあてがわれて、順当に受賞できたのだ。

彼女はノンブランドだったがTCC賞がきっかけで「女糸井重里」と呼ばれ、さらには直木賞作家になり、現代の女流作家(この言葉ダメなのかな?)のトップになった。
1987年には仕事場に子供を連れてきたアグネス・チャンとの大論争で、世間を騒がせた。

どちらかと言えば「体制側」で、エスタブリッシュメントの立場からモノを言う論客だった。ある種の賢人だったとは思う。
しかし20代前半で有名文化人になったから、実際の仕事経験は乏しかったはずだ。自分に実務能力がないとわかっていれば、母校の理事長なんて引き受けるはずもなかったのだが。
作家としてのステイタスに「最高学府のトップ」と言う冠をいただこうと思ったのだろうか?

林真理子が理事長に就任した日本大学は、相撲取り上がりの親方みたいな男が「いいようにしていた」大組織だ。混沌の巷だったと言ってよい。日大には伝統的にカオスのエネルギーみたいなものがあったとは思うが、そこに最高責任者として足を踏み入れるのは「火中の栗」で済まされない大難儀だったはずだ。

しかし彼女は「知らぬものの強さ」で、足を踏み入れ、事態処理の順番も筋道もわからないうちにぱーぱー発言をして、その回収に右往左往している。ヤメ検上がりの副学長に詰め腹を切らそうとして、開き直られ、立ち往生しかかっているのだ。

第三者委員会の調査報告書は
「林理事長によるガバナンスの前提となる情報収集態勢、報告ルールの不備というほかない」
とまで書いている。

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私は毎週、週刊文春を読んでいる。いろんなコラムの中で林真理子が一番つまらないが、今や、自身の「炎上中の諸事情」には一切触れず、美智子妃殿下のこととか書いている。自分の境遇を面白おかしく書く余裕はないようだ。彼女が数十年、学んでこなかったことがいかに多いかに気が付いたのではないか。

もうやめるしかないと思うが、撤退戦略は侵攻よりもはるかに難しい。彼女の作家としてのキャリアに傷がつかないよう、誰かにサポートしてもらうしかないのではないか。




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