一昨年に話を聞いた。淡々とした話しぶりで、こういう人なんだと思った。
松坂世代の一学年下、遅生まれだから41歳になる。NPBから独立リーグまでを加えたキャリアSTATS

Shoda


何と、2000年からのキャリアは実に24年になる。
NPBで規定投球回数に到達し、新人王になったのは今から21年も前のことだ。

桐生一高3年の1999年夏の甲子園で群馬県勢として初優勝。松坂大輔の「1年後」の優勝だ。この年のドラフト1位で日本ハムに入団。ドラフト同期は高橋尚成、藤井秀悟、同じ高卒では田中賢介、栗原健太。

当然、有望株だったが、課題は制球力だった。

しかし3年目の2002年には、制球力がついて、規定投球回数に乗って9勝を挙げて新人王、ここからエースとして活躍するかと思えたが、制球難が続き、2007年にトレードで阪神二。
しかし2年間一軍登板は無く戦力外に。

12球団合同地ライアウトを受けるも、声はかからず、台湾の興農に。好投して最多勝を獲得したが、2年目のチームの経営難に拠って解雇される。しかし2年目に高津臣吾とチームメイトになり、高津を師匠と仰ぐようになる。
MLBのレッドソックス招待選手になるも、契約に至らず高津がプレーするBC新潟で投げる。

高津の紹介もあって2012年にヤクルトに復帰。2年間投げるも戦力外となり、CPBLのLamigoへ。そして2014年から四国ILの愛媛で投げた

愛媛では河原純一が現役で投げたのちに監督になった。河原の理解もあって、ここからさらに10年のキャリアを重ねたのだ。。コーチ兼任、球速は130㎞/h台だったが、投球術は別格だった。
2022年の正田

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この年に話を聞いたが「なぜ40歳近くになっても投げているのか?」と聞くと「投げられるからです」とあっさりした口調で話した。

桐生一高で1学年下の一場靖弘にその話をすると「正田さんらしい」と言われた。

大恩人の高津臣吾に呼ばれて、ヤクルトの投手コーチに就任するという。栄転と言うことではないか。



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