チェーン店の牛丼を初めて食べたのは、浪人生の時だったから、1970年代終わりだ。吉野家が評判になっていたが、最初に食べたのは難波にあった、なか卯だった。非常においしかった覚えがある。
ほどなく吉野家で食べるようになる。大学に入って、東京の寄席に夜行電車でよく通った。朝方ついて、浅草演芸ホールの近くにあった吉野家で牛丼を掻き込んだが、関西よりも醤油の味が立っていて、違う味なんだと思った。
当時は並盛と大盛だけだったが、ある仕事帰りのニッカボッカのおっさんが「大盛と牛皿」を注文して、大盛に牛皿の肉をのっけて、わしわしと食べるのを見て、これぞ男と痛く感激して、真似をしていた時期がある。
そのうちに特盛ができ「つゆだく」も可能になった。「牛丼特盛つゆだくで」というのは、アニメの「こち亀」の主題歌の歌詞にあったと思うが、その頃には結婚していたが、一人で飯を食べるときには、しばしばこれをやった。
ただつゆだくは、素早く食べないとご飯がふやけて、うまくなくなってしまう。テーブルに置かれるや否や、ガッと食べないといけないものだと思う。それもあって体重が80㎏を超えた。

そうこうするうちに、吉野家は豚丼を出し、焼き肉丼とか、すき焼き丼とか、すき焼き定食とか、カレーとか、果てはうな丼とか、おびただしい数のメニューを出すようになる。
多様なニーズに応えるためだろうが、それは店のスタッフに恐ろしい負担をかけているのではないかと思う。
出張中なので、今朝、吉野家で朝飯を食べた。私は朝はWハムエッグと納豆のセットにするのだが、東京では早朝の吉野家に、徹夜で何かした人もやってくる。また、ものすごいこだわりを持った人も来る。
隣に座ったあんちゃんは、スタミナ丼、みそ汁の代わりに豚汁、これに肉皿を頼んだ。その横のおっさんは「牛丼大盛、つゆなしで」「豚汁に代わって」「唐揚げつけて」と立て続けに言い、そのうえで「唐揚げが上がったタイミングで持ってきて」と言った。
眠そうな目でやってきた女の子は「牛丼小盛、ご飯少な目で」「あとサラダ」という。
こうした注文は端末に入力して厨房に送られるから間違うことはないのだろうが、おとなしそうな早朝のスタッフは、かなり疲れているようだ。
そうこうするうちに、スタミナ丼を頼んだあんちゃんが「白ご飯」と言った。何という食欲、なんという混沌。食べながら息が詰まりそうになった。
今や牛丼を食べる人の半分は箸ではなくスプーンになっている。これも悩ましく思うのだが、とにもかくにも「並」「大盛」「お新香」「牛皿」くらいしかなかった昔の吉野家、今いずこ。
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当時は並盛と大盛だけだったが、ある仕事帰りのニッカボッカのおっさんが「大盛と牛皿」を注文して、大盛に牛皿の肉をのっけて、わしわしと食べるのを見て、これぞ男と痛く感激して、真似をしていた時期がある。
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ただつゆだくは、素早く食べないとご飯がふやけて、うまくなくなってしまう。テーブルに置かれるや否や、ガッと食べないといけないものだと思う。それもあって体重が80㎏を超えた。

そうこうするうちに、吉野家は豚丼を出し、焼き肉丼とか、すき焼き丼とか、すき焼き定食とか、カレーとか、果てはうな丼とか、おびただしい数のメニューを出すようになる。
多様なニーズに応えるためだろうが、それは店のスタッフに恐ろしい負担をかけているのではないかと思う。
出張中なので、今朝、吉野家で朝飯を食べた。私は朝はWハムエッグと納豆のセットにするのだが、東京では早朝の吉野家に、徹夜で何かした人もやってくる。また、ものすごいこだわりを持った人も来る。
隣に座ったあんちゃんは、スタミナ丼、みそ汁の代わりに豚汁、これに肉皿を頼んだ。その横のおっさんは「牛丼大盛、つゆなしで」「豚汁に代わって」「唐揚げつけて」と立て続けに言い、そのうえで「唐揚げが上がったタイミングで持ってきて」と言った。
眠そうな目でやってきた女の子は「牛丼小盛、ご飯少な目で」「あとサラダ」という。
こうした注文は端末に入力して厨房に送られるから間違うことはないのだろうが、おとなしそうな早朝のスタッフは、かなり疲れているようだ。
そうこうするうちに、スタミナ丼を頼んだあんちゃんが「白ご飯」と言った。何という食欲、なんという混沌。食べながら息が詰まりそうになった。
今や牛丼を食べる人の半分は箸ではなくスプーンになっている。これも悩ましく思うのだが、とにもかくにも「並」「大盛」「お新香」「牛皿」くらいしかなかった昔の吉野家、今いずこ。
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コメント
コメント一覧
黙々と牛丼(当時はコレと牛皿しかなかった)をかっこむ男性100%の満員の店内を「右奥のスーツのお客様にお茶のお代わりよろしく、中列二人連れのご新規のお客様ご注文お伺いして。左側の紅生姜確認お願いします」と一人でコントロールする店長の差配に惚れ惚れしたものです。
牛丼デートというのもしました。
「オレ先に入って食べてるから、後から一人で入って来てこう言うんだ」
あ、ギョクってのは卵のことね。ちょっと練習してみよっか。あー、もっとぶっきらぼうな口調で。そうそうその調子。じゃあこれ、牛丼代の千円。おつりはいいからね~。
先に食べて支払い済ませて外で待って、彼女の感想きくと「最初はばかみたいと思ってたけど、やってみるとドキドキ💓した。面白かった」と言ってくれてその後も盛り上がりました。
人様に面白い話をするって、本当に難しいよね。
個人の話ですみません。
記憶に間違いがなければ、私の吉野家初体験は横浜スタジアムです。
1978年4月4日、アマ無線の試験を受けるために未明に田舎から上京したのですが
当日の夜、ハマスタ(当時は言わない)のこけら落としの試合があるとわかり、
並んだら当日券が買えて、レフトスタンドから試合を観ることができました。
横浜大洋-巨人戦でした。野球少年の公式戦初体験でもありました。
(地方なのでオープン戦はG戦が来ていました)
そこで、場内の売り子から吉牛を買って食べた記憶があります。
なお、当日は後楽園でキャンディーズが解散コンサートをやっていました(こちらは参戦無理でした)。
上京の夜汽車には、ファンでいっぱいでした(星稜の同世代の方とは路線が違いますが)。
ふと、昔の想い出が蘇りました。60+αの戯言ですみません。ほろ酔い投稿で失礼しました。
「牛丼の記憶で話したい」、いい記事をありがとうございます。
わしわし食べられた時代が懐かしい。
学生時代や若い頃はパチンコ帰りに必ず吉野家に寄ってましたね。負けても牛丼代だけは残してました。
今思えばもっと美味いものはあっただろうに、あのころの吉野家は私達田舎大学生には何故かハレの食べ物でした。
あと飯島愛さんが吉野家好きを公言して、彼女連れ、お一人さま女子が増えたときのインパクトが凄かった