Matsumoto


前のブログの続きになるが、松本人志のスキャンダルの最大の問題点は「彼がひどいことをしていた」ということではなく「昔の権力者が当たり前のこととしてやっていた“遊び”“やんちゃ”が人権侵害になった」ということではないか。
「お笑い」のステイタスが「たかが芸人」の域を乗り越えて「有名人」「スター」になっていったのは、1980年の「漫才ブーム」からだろう。これまで歌手や映画俳優が、芸能界の頂点だったのが「漫才ブーム」以降、一般の芸能人よりはステイタスが低いと思われていた「芸人」へとシフトした。

何といっても「視聴率」がとれるからだ。映画産業が没落し、「テレビ」が芸能界のど真ん中にせり出し「歌番組」「ドラマ」よりも「お笑い番組」「バラエティ」の方が視聴率がとれるようになって、番組を回すことができる「芸人」が圧倒的な存在感を持つようになった。
そして数千人もの「芸人」を傘下に持つ吉本興業が、関西だけでなく全国区で圧倒的な力を持つようになるのだ。
その点、絶対的な「アイドル」をもつジャニーズと双璧だっただろう。

ただ「アイドル」と「芸人」は、その身にまとう「イメージ」が全く違う。アイドルにとって「下半身事情」は今に至るもタブーであり、アイドルにとって「スキャンダル」は致命的だった。
しかし「芸人」は、容姿やイメージで支持を集めているのではなく「面白いこと」を言う才能でファンを引き付けている。彼らの「プライバシー」については、アイドルほどは詮索もされず、厳しい批判にもさらされてこなかった。

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もともと「芸人」とは「一般人の外側」にいる人たちだった。一般人のようなモラルは求められていない。桂米朝は「芸人になる、言うたら何々組に入る、言うのと同じことやで」と常々言っていたが、芸人になると言うのは「人でなし」になることだった。

昭和の時代、NHKのアナウンサーから参議院議員になった高橋圭三は、芸能人の不倫などのスキャンダルのニュースに対して「芸能人にとって、遊びは芸の肥やしであり、目くじらを立てるほどのことはない」と発言して、共産党の猛攻撃を受けていたが、その当時の一般的な見方はそのようなものだった。

私は落語家の世界を少し知っているが、寄席の後、くっついてくるファンの女の子を、奥さんのいる落語家が「お持ち帰り」するのは、当たり前のことだった。女性と関係することを「かく」というのだが芸人仲間で「あの子、もうかいた?」という会話が普通に交わされていた。

立派な大師匠と言われる落語家が、若い噺家の手引きで孫ほども歳の違う女の子と一緒にホテルに入るのも目撃した。その師匠はにやっと笑っただけで「黙っとけや」とも言わなかった。
もう30年以上も芸人のトップに君臨するダウンタウンの私生活が「乱倫」であっても、まったく問題なかったはずだ。「売れる」とは、女性関係も含め「好き放題」できるようになることを意味していたからだ。そのために、彼らは努力もし、才覚を働かせてきたのだ。

松本が全国に移動すると、地元の芸人が「夜のお伽」の準備をするのは、ごく当たり前のことだっただろう。舞台がはねた売れっ子芸人は、ホテルに帰って「なんでも鑑定団」を見ていたわけではない。夜の巷に沈潜して「一般人が絶対に味わうことができない酒池肉林」を楽しむものだったのだ。
もちろん、そういうのが性に合わない人もいたのは間違いないが。

それはテレビ業界の人にも周知の事実だっただろうし、メディアもある程度知っていただろう。

そういう芸人の「やんちゃ」が、今の価値観に照らして「スキャンダル」になることに気が付いた文春や新潮などの雑誌メディアは「鉱脈」を掘り当てた気分だったのではないか。

これからどんどん「過去の悪事」が裁かれる。芸人だけでなく歌舞伎役者やベンチャー企業の経営者の「やんちゃ」も「ネタ」になる。
たたけば埃が出る面々は、「えらい時代になった」と思っているのではないか?

縁もゆかりもない、一般の人々にとっては、高みの見物だ。なかなか面白い時代になったのではないだろうか?


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