
がんだったそうだが、公表されていなかっただろう。アマチュアとはいえ元力士であり、77歳は決して短命ではない。
日本大学相撲部の監督として、横綱輪島、関脇荒瀬などの兄貴分だったが、輪島が70歳、荒瀬が59歳で死んだのに対し77歳まで生きたのは長命だといえよう。
昭和の「大学」は「勉強ができるか」「スポーツができるか」どっちかで入学できた。体育会系の大学生は、勉強しなくても単位を取得して卒業することができた。大学の教室がどこにあるのか、教授がどんな顔をしているかを4年間知らなくても、別にかまわなかったのだ。
大学の有名選手は、指導者のお気に入りになれば大学に残って指導者になることも可能だった。というか歴代の指導者は、そういう形で大学に居座ることになったのだ。
中には「教授」の肩書を持っている人までいた。日本の大学には「体育」の授業があるが、そういう教授が指導していたのだ。
國學院大學出身の大沢清は、大沢親分の兄貴で、プロ野球では川上哲治に次ぐ名一塁手だったが、引退後、母校の監督に就任するとともに文学部講師から教授になった。学生に非常に人気のある先生で、退官後も慕われていたという。
同志社大学出身の渡辺博之は「猛虎打線」の5番打者として活躍し、1954年には打点王になっているが、引退後、母校同志社大学の監督になるとともに、工学部助教授から教授となった。昭和の同志社大生の中には、大学の体育の授業で渡辺教授の指導を受けた人も多かったはずだ。

ただ、多くのスポーツ上りは教授と言っても論文を書いて学位を得たわけではない。私は体育会系で某大学の学長になった人を知っているが、話を聞いても学者と話をしている感じがしなかった。
しかし体育会系上がりでは「お飾りの経営者」になるのが関の山だったはずで、田中英寿のように大学の理事長になって大学運営の実権を握るのは、まったくの異例だっただろう。
しかし「大相撲の親方」とほとんど変わらない感覚の人物が権力を握り、大学人事を掌握したことで、日本大学全体が「相撲部屋」みたいになった。上下関係が重視され、コネや情実がはびこった。日本大学は、ちょっとした都市くらいのスケール間のある大学だから、多くの学生には関係のない世界だったが、田中英寿が権力を握ってから、日本大学は腐敗していったわけだ。
度重なる不祥事で、田中英寿は大学を追われたが、日本大学の「病根」は非常に根深く、まだ混迷の中にある。田中の死は、一つの区切りではあろうが、昨今の報道からしても、日本大学の再建はまだ道半ばではあろう。
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國學院大學出身の大沢清は、大沢親分の兄貴で、プロ野球では川上哲治に次ぐ名一塁手だったが、引退後、母校の監督に就任するとともに文学部講師から教授になった。学生に非常に人気のある先生で、退官後も慕われていたという。
同志社大学出身の渡辺博之は「猛虎打線」の5番打者として活躍し、1954年には打点王になっているが、引退後、母校同志社大学の監督になるとともに、工学部助教授から教授となった。昭和の同志社大生の中には、大学の体育の授業で渡辺教授の指導を受けた人も多かったはずだ。

ただ、多くのスポーツ上りは教授と言っても論文を書いて学位を得たわけではない。私は体育会系で某大学の学長になった人を知っているが、話を聞いても学者と話をしている感じがしなかった。
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日大の田中(当時相撲部監督)が各部屋に有力学生を割り振って
フィクサーのようになっていると聞かされていたくらい彼は
当時から相撲関係者には評判が悪かったl
数年前のタックル事件でその田中氏が理事長になってるときいて
驚いた記憶がある
まあ才覚はあったんでしょうな。色んな意味で。