
東洋経済オンライン
「古文は役に立たない」と思う人の"大きな誤解"学生時代に勉強を疎かにしているとどうなるか
「一生使わない古文なんて勉強するくらいなら、プログラミングや投資などの、社会人になってから役に立つ知識を勉強した方が良いのでは?」
世の中のことは、すべて明確に結果が出ると信じている今の人々らしい価値観ではある。
古文は「日本の古典」と言われる近世以前の文献を読むための文法を学び、当時の歴史や社会、風俗を知って、文献の意味を理解するという学問だ。
確かにそれは、今の社会で生きていく上では、直接の役には立たないかもしれない。
データをとって分析して方向性、目的を出し、その目的のために資源を集中させていく。そういうプロセスに「ありおりはべりいまそかり」は必要ないように見える。
しかし、いつの時代でも、どんな国でも、世の中は「人間」によって成り立っている。「人間関係」を排除して、人は生きていくことができない。
古典、さらには歴史は、過去の様々な時代、様々な社会の「人間関係」の膨大なデータベースだ。もちろん昔の言語やプロトコルは今とは違うから、それを学ぶ手続きはいるが「古典」「歴史」は、外国文献と同様、データベースとして非常に有用性が高いのだ。
保守の論客、西部邁は人間として生きていく上で必要なのは「教養だ」とし「教養とは歴史を学ぶことだ」と言っている。どんなに時代が変わっても、人間が生きている限り、社会をうまくまわすためには「教養」が必要だと。
「古文」「古典」を馬鹿にしている人は、その時点で「大したことがない人」だと断じて良いだろう。
今、ゲームの世界では「歴史もの」が一ジャンルをなして人気があるが、そのゲームの世界観の底の浅さ、幼稚さを見ると「教養を軽視したコンテンツ」の限界を感じる。

野球の世界でいうと、野球界には「記録の神様」と言われた記録の専門家が営々と歴史を記録してきたが、日本では彼らとセイバーメトリクス以降の専門家とは、ほとんど関係性がない。
今のアナリストたちは、昔の指標である打点、打率、防御率、勝利数などを等閑視する。それは理解できるが、過去の野球史で蓄積されてきたデータがあればこそ、今の新しい指標ができたのであり、それを振り返って学ぶことの意義は、非常に大きいと思う。
古典が役に立たないという声の浅薄さ、レベルの低さを改めて認識すべきだと思う。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
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データをとって分析して方向性、目的を出し、その目的のために資源を集中させていく。そういうプロセスに「ありおりはべりいまそかり」は必要ないように見える。
しかし、いつの時代でも、どんな国でも、世の中は「人間」によって成り立っている。「人間関係」を排除して、人は生きていくことができない。
古典、さらには歴史は、過去の様々な時代、様々な社会の「人間関係」の膨大なデータベースだ。もちろん昔の言語やプロトコルは今とは違うから、それを学ぶ手続きはいるが「古典」「歴史」は、外国文献と同様、データベースとして非常に有用性が高いのだ。
保守の論客、西部邁は人間として生きていく上で必要なのは「教養だ」とし「教養とは歴史を学ぶことだ」と言っている。どんなに時代が変わっても、人間が生きている限り、社会をうまくまわすためには「教養」が必要だと。
「古文」「古典」を馬鹿にしている人は、その時点で「大したことがない人」だと断じて良いだろう。
今、ゲームの世界では「歴史もの」が一ジャンルをなして人気があるが、そのゲームの世界観の底の浅さ、幼稚さを見ると「教養を軽視したコンテンツ」の限界を感じる。

野球の世界でいうと、野球界には「記録の神様」と言われた記録の専門家が営々と歴史を記録してきたが、日本では彼らとセイバーメトリクス以降の専門家とは、ほとんど関係性がない。
今のアナリストたちは、昔の指標である打点、打率、防御率、勝利数などを等閑視する。それは理解できるが、過去の野球史で蓄積されてきたデータがあればこそ、今の新しい指標ができたのであり、それを振り返って学ぶことの意義は、非常に大きいと思う。
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コメント
コメント一覧
ゲームのリソース制限を一杯に使って、その時代時代の面白さ、世界観を楽しむのが、歴史系シュミレーションゲームの醍醐味です。私のようにゲームを入口にして史学科の門をたたき、未だに古典を読み続けている人間からすると、非常に残念に思います。
歴史上の人物に成り代わって、ああすればこうすればと想像し、結果と原因を考察して教訓とするのが、歴史の楽しさ。歴史の中では誰にでもなれるし、歴史を紐解けば自分と似た境遇の人を探し出すこともできるのが、歴史の面白さだと思うのですけどね。
その入口として、歴史系シュミレーションゲームは想像力と没入感を掻き立てるものだと思います。
例えとして正しくはないかもしれませんが、『プライベート・ライアン』があるから『夜と霧』を知れるのだと思うのですけどね。
それに、シナリオなどは相応の専門知識がないと書けない内容になっているものも多いです。
まあ本文の趣旨とは違いますが、歴史好きでそういうゲームを作りたいと、一時はゲームクリエイターの端くれをやっていたので、たまには顔を真赤にして噛みつきたくなりコメントいたしました。
お気に触ったら、消してしまっても構いません。
ちなみに、歴史系は人気が出づらいジャンルの一つでもあります。あまり流行っているようには思えないのですが……。
「歴史や漢文を勉強してなんの役に立つの?」老若男女みんなに言われた言葉です。歴史を志した20年以上前から社会は歴史軽視に向かっています。
論文を何十本も書いているような優秀な研究者も、職にあぶれて路頭に迷っています。大学では教員が定年を迎えるとポストが一つ減らされるのだそうです。
教員たちも優秀な学生に研究者となる道は、勧めないようになってきているようです。
ある研究者が私に言いました。「世の中、不要なものから消えていく」
もう手遅れの感は否めません。
趣味の問題かもしれませんが、歴史ゲームのビジュアルと「言葉」の汚らしさは、歴史へのリスペクトが全然感じられないと思っています。
私の知らない地味なゲームがあるのなら、私の知識不足かもしれませんが。
もともと「学問」は、門外漢の庶民からは理解なかったものです。
しかし、それでも昔は、学問全体に対するリスペクトがありましたが、それがなくなってきたと思います。
大学全入化とか、教育の質の低下と関連があるかも。
ちなみに、私は学者、研究者への取材も多いのですが、ライター連れとは、レベルが違うことを痛感し、畏怖しています。
少し頭に血が上っていたようで申し訳ございません。
歴史ゲームに関しては趣味の違いもあるでしょうし、指しているゲームが違うようにも感じました。
ただ、もう八十にもなる私の恩師は、中国史の大家なのですが、某スマホゲームのお陰で自分の本を読んでくれる人が増えたと喜んでおりました。
その姿を見て、興味・関心を持って知識を深めてくれるならば、間口は広く開けておいたほうが良いと改めて思うようになりました。
コメントのご指摘のとおりだと思われます。
教育の質の低下かもしれませんし、誰でも簡単に情報にアクセスできる時代背景かもしれません。
今は誰でも何でもタダで調べられると思う人が多いので、例えば"物を知る"ということに対するリスペクトだけとっても、低下しているように思われます。
本気で何かを調べようとすれば、何十巻揃えの分厚い辞書にも載っていない言葉や言い回し、判読不明の文字等に突き当たるわけで、それを一瞬で解き、自由自在に使いこなしてしまう本物の研究者の凄さは伝わらないのでしょう。
理解されないのは仕方ないとしても、何だか凄いことをやってると思われなくなったのが、世間に評価されなくなった理由かもしれません。
近年は事業仕分け、更に安倍政権の影響で「哲史文」の予算は削られているようです。
歴史や古典、哲学系はリベラルアーツの一部。海外ではもっと尊重されているようですが、日本ではいつの間にか端に追いやられてしまいました。
こういう状態が、心の貧しさ、身も蓋もなさにつながっているように感じます。
至らない私が偉そうにぶつのは滑稽かもしれません。
長々と失礼いたしました。
ゲームはマーケティング的に、普遍性、わかりやすさ、親しみやすさを求められます。歴史の持つ複雑さ、奥深さを排除して、単純化するのは、歴史ゲームの必然だと思います。人物像はキャラという言葉に置き換えられますから。
誰にでも楽しめる、わかりやすいというのは、歴史がまとっている「魅力」を全部洗い流すことになるのでは、と思っています。
やり取りをしてきて、多分広尾さんが指摘するゲームは、歴史をモチーフにしただけのソシャゲで、中身のないものを言っているのではと推量します。
そもそも歴史ゲームは、非常にニッチな上、制作費が高騰しがちなテーマとされるので見解の相違がありそうです。
>ゲームはマーケティング的に、普遍性、わかりやすさ、親しみやすさを求められます。
おっしゃるとおりです。ただそれはゲームの一面しか表していないように思います。
ゲームには、面白さ、やりこみ、差別化という要素もあります。特にコンシューマゲームは売り切りなのでこの傾向が強く、私が知っているクリエイターにもマネタイズを一切考えない職人が多くいました。
「ゲームはクリエイターの良心でできている」とは業界ではよく聞く言葉の一つです。
ソシャゲの場合は、ご指摘の通りマーケティングを重視しますので、面白さと親しみやすさの間で、クリエイター同士の喧嘩が常に起こっております。
また解明されていない歴史を補完する創作の要素もあります。
程度問題ですが、歴史と文学との世界に似ていると思います。『三国志』と『三国志演義』の関係。更にそれを脚色した『吉川三国志』などもそうです。
もっと程度問題ですが、古くは『春秋』と『左伝』の関係も補完関係にあります。そういう補完や創作の歴史もまた歴史です。
あからさまなのは嫌悪感をいだきますが、「歴史の魅力を全部洗い流している」ようには思えません。
本来は自分で自由にイメージ出来るものをゲームでは型にはめてしまっている。誤解を与える表現をしている部分があるというご指摘ならば、おっしゃるとおりかもしれません。
ただそれも、興味を持って歴史や古典を勉強していく中で、より自由に、より正確に理解を深めていけばいいだけに思います。そこまで行ける人間は、本当にほんの僅かだと思いますが……。
ごめんなさい。ゲームについては一切経験する気がないのに、口をはさみすぎていますね。
あまりこのエントリーの趣旨とは違うところで、申し訳ありませんでした。
私は古典は役に立つし、役立ててほしいと思う一人です。
「記録の神様」という言葉、気になって調べさせていただきました。恥ずかしながらこのエントリーを読まなければ知らないことでした。