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難波から京セラドームまで歩くのが好きで、時間があればそうしているが、気が付いたら御堂筋がえらいことになっている。
御堂筋の南から北側を望んだ写真

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右が東側である。金龍ラーメンは、昭和の昔からあるが、南で飲んだ時の〆に食べるラーメンだった。キタには揚子江ラーメンというのがあって、透明で淡白な清湯のスープは最高だ。余談だが、今の桂南天さんは、この店で師匠の南光に弟子入りしたはずだ。〆に食べるには最高のラーメンだ。
それに比べれば金龍は、どこにでもあるトンコツで、それほどうまいわけではないが、真夜中でもやっているうえに、あっという間にラーメンが出てくるので、ついつい食べてしまうわけだ。ご飯とキムチがただで、脂肪肝になりたい人は、ここに通えばすぐになれる。昼間に食べることなど考えたこともなかったが、今は真昼間から行列ができている。ほとんどがインバウンドだ。ガイドブックに載っているのだろう。

それはいいとして、金龍ラーメンの前の側道がやたらと広くなっている。もともと御堂筋は44m、下り6車線だったはずだが、2車線分くらいが側道になっている。今までと景色が違ってしまった。前の側道は右側の街路樹の辺りだった。

少し北側に行くと、こんな感じ。

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右手、東側の古めかしい建物は「はり重」。1階は肉屋で、上がすき焼きやステーキを出す料理屋だ。私はこの2階でお見合いをさせられたことがあるが、ステーキが5000円だったのを覚えている。「大阪でビフテキ食べる」と言えばこの店だった。
この並びの南側には「はり重グリル」という洋食屋がある。厨房が全く見えなくて、非常に静かな店だった。ここの牛丼は「ビーフワン」というネーミングで名物だったし、ランチもおいしかったが、昔は満員になることはなかった。今は、こちらもやたらと行列ができている。インバウンドもいるが、日本人も多い。
先代桂文枝とこの店の前を歩いていたときに、文枝が突然「ここは女義太夫の席(寄席)やってんで」と言った。ここに居候していたことがあったという。
「はり重」は「播磨屋重兵衛」という当時の寄席の名前からきている
「女義太夫」は、今のアイドルみたいなもので、若い女の子が義太夫をうなるという出し物で、ものすごい人気があった。
同じころ、桂米朝や松鶴、春団治はこの並びに昔あった「丸十」という寿司屋の二階に居候していた。米朝が若い女の子を連れ込んで困ったと、誰ぞに聞いたことがある。「丸十」は回転寿司がない時代、安くて若者でも食べに行ける寿司屋だった。
松鶴の「江戸前というほどうまない(美味しくない)握り寿司」という川柳は多分「丸十」のことだろう。

この「はり重」の前の道も広がっている。「え!」という感じだ。

そしてその前の道頓堀
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堀の幅が狭くなっている。遊覧船は主として一本松という水運業がやっている。会社が二つあって、ライバルみたいになっていたが、今はどうなのか。この船も乗っているのはインバウンドばっかりだ。

大阪ミナミが本当にテーマパークみたいになっている。大阪万博を前に、ビジネスや産業の色をなくしていって「観光一色」にする気なのかもしれない。
大丈夫かいな?という気がする。ちょっと浮かれすぎていないか。


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