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86歳、老衰だった。1969年に引退しているから、私も現役時代は知らない。中村親方となって、勝負審判として土俵下にいたのを知っているだけだ。
あれだけ男前のお相撲さんは、後にも先にも見たことがない。面高で、鼻筋が通り、眉毛はきりっと上がり、柔和なまなざし。物言いがついて土俵に上がるときなど、189㎝の長身もあって、場内からため息のような声が上がったものだ。

柏鵬時代の名わき役だった。長身を生かした吊り技が得意だったが、同時代の同門力士の陸奥嵐が「起重機」と言われ、相手を腰から持ち上げたのに対し、明歩谷は長い上を生かして廻しをひきつけ、相手の腰を浮かしたのだ。
横綱大鵬や、柏戸とよく対戦したが、両横綱ともに懐が深く、吊り技があまり効かなかった。しかし北の富士や大麒麟になった麒麟児などとは好勝負を演じた。

1961年秋場所、大関大鵬、柏戸と3つ巴の優勝決定戦、4年後の1965年秋場所にも横綱佐田の山、柏戸と3つ巴の優勝決定戦、2度も優勝決定戦に出たが優勝はなし。優勝0、優勝同点2回はかなりの珍記録だろう。

幕内では414勝450敗6休、大関以下で勝率5割になるのは至難のことであり、名関脇だといってよいだろう。

勝負審判の中村親方を見るのは、相撲見物の大きな楽しみの一つだったが、突然相撲協会を辞めた。
明歩谷は「エホバの証人」の信者であり、信仰の道に入るために相撲界を辞めたのだという。

以後は警備員や清掃員をしていたという。ある記者が、驚くほど大きな体のビルの清掃員を見かけて、近づいて顔を見たら明歩谷だったという話がある。

私は明歩谷(しこ名は明武谷)の相撲界辞任で「エホバの証人」という教団名を知った。今はカルトの一種のようになっているが、この教団名を聞くとすぐに明歩谷の美しい顔が浮かんでくる。

写真がないかとアマゾンで「明歩谷」と検索するとおびただしい数の「吉沢明歩」が出てくる。アマゾンはこういうのも扱うようになったのだと思った。

知る人ぞ知る話だが、浅草寺の吽形の仁王さんは1964年に彫刻家村岡久作が彫ったものだが、明歩谷がモデルだといわれている。
そもそもこの門は、大相撲力士から身を立てて大谷重工業やホテルニューオータニを創業した大谷米太郎が寄進したものだ。それにちなんでいるのだろう。

でも残念ながらそれほど似ているように思えないが。

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