
日刊スポーツ
石井一久氏の発言にスタジオ騒然、自身の記念ボールめぐりまさかの評価「燃えるごみなのか…」
大谷翔平の今季第1号、ドジャースでの初本塁打を巡って、それを拾った人に対する球団の対応が問題視されている。最高で1500万円の価値とされるボールを巡って、当事者の目の色が変わっているのだ。
「モーニングショー」でその話題を振られた石井一久が、
「僕、あんまりそんなの無頓着なんで。何が何だか分からないボールがいっぱいある」
「燃えるごみなのか燃えないごみなのか、ちょっとよく分からない」
と言ったのだ。スタジオは騒然とした。石井はドジャースではローテの一角を担ったことがあるし、ホームランも打っている。記念ボールは当然たくさんあり、それを手にしてはいるが、整理していないうちに、どれがどれやらわからなくなっているのだと言う。
これ、悪くないんじゃないかと思う。
今はメルカリみたいなメディアもあり、転売ヤーなどの輩もいてその気になれば「何にでも値段をつけて売り払う」ことができる。それに煽られて、馬鹿な人が騒いでいる。嘆かわしいことだ。
石井一久は整理整頓が苦手なのかもしれないが、彼が「私物」である「記念ボール」をどう扱おうと自由なはずだ。
本質的には、それらはただの「MLB公認試合球」にすぎない。それに価値があるように言っているのは「勝手にそう思っている人たち」だけだ。
私はそういう「記念品」に何の価値も見出さない。どうでもいいと思っている。
小学生の頃に、うちの親父が初めて海外出張に行った。行く前には「送別の宴」を設け、帰ってくれば「無事帰着の宴」を設けるなど大層なものだった。その時父親から「観光地シャモニーで拾った石」を土産にもらった。自慢するために、小学校に持っていったのだが、通学路で躓いて、手に持った石を道にぶちまけてしまった。慌てて拾ったが、スイスの石も日本の石も見分けがつくはずがない。適当に拾い集めた石を学校に持って行って「これがシャモニーの石」と見せびらかした。女の子などは「わー、きれい」と言ったが、私は子供心に覚めた気持ちになっていた。
ようするに「但し書き」を付けなければ価値が生じないようなものと言うのは「まやかし」なのではないか、ということだ。

サイン色紙とかサインボールなども「その人にサインをしてもらった」と言う証拠であり、但し書きではあるが「それがどうした」と言われれば、それまでのことだ。
私は野球について取材をするのが仕事だから、毎年たくさんの野球関係者に会うが、サインの類は貰ったことがない。ほしいと思ったこともない。メディアでそういうことをするのは顰蹙を買う。
スポーツ紙の記者の中には、親しい選手に「知り合いが欲しがっているから」と言ってサインを書いてもらう人もいるが、うるさく言えば「取材対象から便宜供与を受けた」と言うことになろう。
また2ショットなど記念撮影もしない。実はマニー・ラミレスと桑田真澄の2人とは2ショットの写真を撮ったが、これは向こうから言われたためだ。断るのも角が立つ。こういうのは人に見せたりはしない。
「応援」と同様、そういうのは「野球とは何の関係もない」と思う。個人的に楽しむのは勝手だし、きれいに保存すれば「高尚な趣味」になるとは思うが、人に自慢するのはくだらないと思うし、ましてや「売り買い」するのは、本質価値とは何の関係もないし、下手をすれば詐欺になると思う。
石井一久のようにボールを粗略に扱うのは、マニアから見れば非難の対象かもしれないが、彼がそれでいいと思えば、それでいいのだ。
何でもないボールを御大層に持ち上げて、ひけらかしたり、自慢するのは、香具師、山師の類だと言ってもいいのではないか。
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「燃えるごみなのか燃えないごみなのか、ちょっとよく分からない」
と言ったのだ。スタジオは騒然とした。石井はドジャースではローテの一角を担ったことがあるし、ホームランも打っている。記念ボールは当然たくさんあり、それを手にしてはいるが、整理していないうちに、どれがどれやらわからなくなっているのだと言う。
これ、悪くないんじゃないかと思う。
今はメルカリみたいなメディアもあり、転売ヤーなどの輩もいてその気になれば「何にでも値段をつけて売り払う」ことができる。それに煽られて、馬鹿な人が騒いでいる。嘆かわしいことだ。
石井一久は整理整頓が苦手なのかもしれないが、彼が「私物」である「記念ボール」をどう扱おうと自由なはずだ。
本質的には、それらはただの「MLB公認試合球」にすぎない。それに価値があるように言っているのは「勝手にそう思っている人たち」だけだ。
私はそういう「記念品」に何の価値も見出さない。どうでもいいと思っている。
小学生の頃に、うちの親父が初めて海外出張に行った。行く前には「送別の宴」を設け、帰ってくれば「無事帰着の宴」を設けるなど大層なものだった。その時父親から「観光地シャモニーで拾った石」を土産にもらった。自慢するために、小学校に持っていったのだが、通学路で躓いて、手に持った石を道にぶちまけてしまった。慌てて拾ったが、スイスの石も日本の石も見分けがつくはずがない。適当に拾い集めた石を学校に持って行って「これがシャモニーの石」と見せびらかした。女の子などは「わー、きれい」と言ったが、私は子供心に覚めた気持ちになっていた。
ようするに「但し書き」を付けなければ価値が生じないようなものと言うのは「まやかし」なのではないか、ということだ。

サイン色紙とかサインボールなども「その人にサインをしてもらった」と言う証拠であり、但し書きではあるが「それがどうした」と言われれば、それまでのことだ。
私は野球について取材をするのが仕事だから、毎年たくさんの野球関係者に会うが、サインの類は貰ったことがない。ほしいと思ったこともない。メディアでそういうことをするのは顰蹙を買う。
スポーツ紙の記者の中には、親しい選手に「知り合いが欲しがっているから」と言ってサインを書いてもらう人もいるが、うるさく言えば「取材対象から便宜供与を受けた」と言うことになろう。
また2ショットなど記念撮影もしない。実はマニー・ラミレスと桑田真澄の2人とは2ショットの写真を撮ったが、これは向こうから言われたためだ。断るのも角が立つ。こういうのは人に見せたりはしない。
「応援」と同様、そういうのは「野球とは何の関係もない」と思う。個人的に楽しむのは勝手だし、きれいに保存すれば「高尚な趣味」になるとは思うが、人に自慢するのはくだらないと思うし、ましてや「売り買い」するのは、本質価値とは何の関係もないし、下手をすれば詐欺になると思う。
石井一久のようにボールを粗略に扱うのは、マニアから見れば非難の対象かもしれないが、彼がそれでいいと思えば、それでいいのだ。
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コメント
コメント一覧
テレビで見ましたが石井は「ストック魔」で水やトイレットペーパーなどが恐ろしい量がストックされていました。
「減ると不安」なのだそうな。
特に「ゴルフ用品コーナー」はショップのようでした。
なので石井にとって「記念ボールは価値がない」んでしょうね。