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サンケイ
虎党愛読の「岡田語録」が消えて1週間 取材拒否の引き金となったスポーツ紙の見出し 鬼筆のスポ魂
サンケイスポーツ新聞社と言う会社は、今は存在しない。1987年にサンケイ新聞社に統合されている。
サンスポは、サンケイ新聞の社員が書いている。そもそもサンケイ新聞そのものが、部数が伸び悩み、一部を除いて夕刊を廃止している。

これは新聞一般にも言えることだが、なぜそんなに「読まれないか」と言えば「読者の方を向いていない」からだ。新聞は、民主主義国家の「言論、出版の自由」の担い手だ。人々が「知りたいこと」を報道するとともに「知らすべきこと」も伝えていかなければならない。常に読者サイドに立って「何を報道すべきか」を考えるべきなのだが。

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政治でもスポーツでも、新聞メディアは「読者」よりも「取材対象」の方を向いている。政治の世界では番記者が政治家に密着しているが、記者は政治家の言うことを一言一句記事にしているのではなく「書いていいこと」「書かないこと」を常に分けて考えている。しかしそれは「読者のため」の分別ではなく、「取材対象がどう思うか」を斟酌しての分別だ。
新聞記者を長くやると「書けないこと」をたくさん蓄えるようになる。そして「書かないこと」で、政治家たちに恩を売る。いわば「共犯関係」になるのだ。

プロ野球の番記者も同様だ。監督や選手に密着することで、プライベートも含めて様々なことを見聞きする。その中から「何を書くか」を考えるときに「読者に何を伝えるか」ではなく「何を書いたら監督や選手が喜んでくれるか」とか「何を書いたら怒られないか」を考えるようになる。

スポーツ紙記者にとって一番怖いのは、球団から「出禁」になることだから、相手に怒られないようにするのが一番だ。

岡田彰布を巡るこの記者の話は、本来「編集部内でのやりとり」にすぎない。それをコラムで書いているのは、この記者の感覚が完全にマヒして「岡田監督が気分を悪くするのは読者だって嫌だろう」と思っているのだ。

読者は「自分たちのことをほとんど考えず、自分たちの身内話ばかりを書く新聞」など金を出して買いたいとは思わない。
ネットを見れば、試合の情報から選手の声までがそのまま出ている中で「ちんけな業界紙」か「社内報」みたいなスポーツ紙には何の価値も見出さないのだ。


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