
「大谷翔平と水原一平をめぐる事件」に関して、事実と異なる見解を表明した有識者が「謝罪」する必要があるか、どうかの問題について、割と反響があった。コメント欄に対する返答をもう一つブログにする。
北村弁護士が謝罪した件、この弁護士がyoutubeで行った「弁明」の中身がどうだったのか、が問題ではない。
北村晴男という弁護士が、テレビやメディアで「大谷翔平が水原一平の賭博について、事前に知っていた、あるいは金を貸すなどして関与していた」可能性に言及したことは、なんら問題があったわけではない。
北村弁護士だけでなく、多くの人が「大谷翔平もスポーツ賭博にかかわったのではないか」という疑念を抱いていた。情報がない中では、客観的に見て、その疑念は極めて妥当性があった。
平たく言えば「大谷翔平は、そう思われても仕方がない状況にあった」のだ。もちろん大谷の責任ではないが。
その後、大谷は自身の記者会見で潔白を訴えた。それによって疑念は多少晴れたが、当事者のコメントであり、客観性はなかった。この時点でも「大谷はうそをついている」と考える人がいても、それも無理はないところだ。

大谷翔平の疑念が晴れたのは、第三者である連邦判事が記者会見で、極めて詳細な事実関係を説明し、膨大な資料が開示された瞬間だ。
それまでは客観的に見て「疑念」があった。
大谷翔平は社会的な責任を有する公人だ。そこらのあんちゃんではない。
反社会的な行為を行った疑念が生じれば、メディアが「大谷が関与した可能性」について言及するのは、当然のことであり「あの大谷がそんなことをするはずがない」として疑念を表明しなかったとすれば、その方がはるかに問題がある。
世の中には品行方正と思われた有名人が、大スキャンダルにまみれることは履いて捨てるほどあるのだ。「大谷だけは特別」とみなす根拠など存在しない。
北村弁護士はメディア側の専門家として「大谷の疑念」について発言したわけだ。それはメディアの一員として、当然の発言だった。
結果的に大谷の潔白は証明されたが、北村弁護士をはじめ大谷に疑念を抱いた有識者の発言は「妥当性がある」というべきだろう。
こうした事件について後付けで「清廉潔白な大谷を疑うとはけしからん」というのは、あほでも言えることだ。そして疑念を表明した人間を非難することも、あほでもできる。
少なくとも「公人」について、犯罪や反社会行為の可能性について言及するのは、何ら問題があるわけではない。北村弁護士が「専門家」「有識者」として大谷の「賭博疑惑」に言及するのは、情報が少なかった時点では当然のことである。何ら謝罪する必要はない。
謝罪をし、あまつさえ「大嘘つきにだまされた自分を恥じております」とまで言うのは、言論人としての自覚に欠けていると言わざるを得ない。
ことが明らかになれば、淡々と「自分の発言」について説明すればいいだけだ。謝罪の必要などない。
有名人に関する疑惑が起こったときに、有識者が「可能性」に言及したとして、その可能性が真実でないとわかったときに、いちいち謝罪しなければならないのなら、誰も自分の意見を言わなくなるだろう。
大げさに言えば「言論の自由」の危機だといえる。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!

https://amzn.to/47hJdhC
開幕15試合終了時のチーム毎勝敗4~毎日~ロッテ・西鉄~西武・楽天・近鉄・ゴールドスター~大映

北村晴男という弁護士が、テレビやメディアで「大谷翔平が水原一平の賭博について、事前に知っていた、あるいは金を貸すなどして関与していた」可能性に言及したことは、なんら問題があったわけではない。
北村弁護士だけでなく、多くの人が「大谷翔平もスポーツ賭博にかかわったのではないか」という疑念を抱いていた。情報がない中では、客観的に見て、その疑念は極めて妥当性があった。
平たく言えば「大谷翔平は、そう思われても仕方がない状況にあった」のだ。もちろん大谷の責任ではないが。
その後、大谷は自身の記者会見で潔白を訴えた。それによって疑念は多少晴れたが、当事者のコメントであり、客観性はなかった。この時点でも「大谷はうそをついている」と考える人がいても、それも無理はないところだ。

大谷翔平の疑念が晴れたのは、第三者である連邦判事が記者会見で、極めて詳細な事実関係を説明し、膨大な資料が開示された瞬間だ。
それまでは客観的に見て「疑念」があった。
大谷翔平は社会的な責任を有する公人だ。そこらのあんちゃんではない。
反社会的な行為を行った疑念が生じれば、メディアが「大谷が関与した可能性」について言及するのは、当然のことであり「あの大谷がそんなことをするはずがない」として疑念を表明しなかったとすれば、その方がはるかに問題がある。
世の中には品行方正と思われた有名人が、大スキャンダルにまみれることは履いて捨てるほどあるのだ。「大谷だけは特別」とみなす根拠など存在しない。
北村弁護士はメディア側の専門家として「大谷の疑念」について発言したわけだ。それはメディアの一員として、当然の発言だった。
結果的に大谷の潔白は証明されたが、北村弁護士をはじめ大谷に疑念を抱いた有識者の発言は「妥当性がある」というべきだろう。
こうした事件について後付けで「清廉潔白な大谷を疑うとはけしからん」というのは、あほでも言えることだ。そして疑念を表明した人間を非難することも、あほでもできる。
少なくとも「公人」について、犯罪や反社会行為の可能性について言及するのは、何ら問題があるわけではない。北村弁護士が「専門家」「有識者」として大谷の「賭博疑惑」に言及するのは、情報が少なかった時点では当然のことである。何ら謝罪する必要はない。
謝罪をし、あまつさえ「大嘘つきにだまされた自分を恥じております」とまで言うのは、言論人としての自覚に欠けていると言わざるを得ない。
ことが明らかになれば、淡々と「自分の発言」について説明すればいいだけだ。謝罪の必要などない。
有名人に関する疑惑が起こったときに、有識者が「可能性」に言及したとして、その可能性が真実でないとわかったときに、いちいち謝罪しなければならないのなら、誰も自分の意見を言わなくなるだろう。
大げさに言えば「言論の自由」の危機だといえる。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!

https://amzn.to/47hJdhC
開幕15試合終了時のチーム毎勝敗4~毎日~ロッテ・西鉄~西武・楽天・近鉄・ゴールドスター~大映

コメント
コメント一覧
①謝罪する必要性
②謝罪を要求する空気感が蔓延すること
③謝罪した北村弁護士を批判する事
を混同しているとしか思えません。
私は①に関しては無い。②は広尾さんのおっしゃる通り、良くない。③は不当だと言わざるを得ない。
③を主張しているにも関わらず、「大谷は清廉潔白なのだから批判した人間はおかしい」と言ってる信者と一緒くたにされても「知らんがな」としか言いようがありません。
悪意は全く無くても、今回、多数の人は1回「加害者側が流したデマを信じて被害者に疑義をぶつけた」のです。
言われのない疑義をぶつけられた大谷には要らない負荷がかかっている。
そして北村弁護士は「あの時は悪かったな〜、大谷に謝りたいよ」程度の発言しかしていません。
仮に実際に大谷に直接謝罪したとして
「あの時はすまんかったねー(意訳)」
「別にいいですよ、仕方ないし」
終わり
でしょう
この程度のものを「言論の自由の危機」に結びつけられて批判されることこそ不当です。
悪意は全く無くても、今回、多数の人は1回「加害者側が流したデマを信じて被害者に疑義をぶつけた」のです。
言われのない疑義をぶつけられた大谷には要らない負荷がかかっている。
それは「有名税」とでもいうべきものです。社会的地位もあり、一般人とかけ離れた報酬も得ている大谷翔平は甘受すべきものです。
個人的に北村弁護士が「ごめんね」というのは本人の勝手ですが、それを公開するのはおかしい。
「この程度」というあなたの粗雑な判断力こそ嘆かわしい。
謝罪する文化が形成されることや謝罪を要求する人間がいることに対する危惧や批判と、謝罪した人を批判することを同等と捉えるのは嘆かわしいですね
「それはそれ これはこれ」
まさに是々非々としか言えません。
>北村弁護士は謝罪したことで「法律の専門家」「有識者」としてではなく「大谷好きの普通のおっさん」としての発言だったのだと受け取られる
これは個人的に思うことですが、広尾さんは「意見」と「人」を近づけて考えすぎだと思います。
すぐ「人」に論が飛ぶ。
水原問題ですら私が把握しているだけで議題が10はあります。多分私が把握してないだけで他にもあるんでしょう。
人格が優れてようが間違うことはあるし、クソ野郎でも正しいことを言うことはあるし、ある分野の専門家が別分野で凄え間違い方したり、昨日までやっちゃダメとか言われてたことが明日には画期的治療法!とかなる時代に「こんな事言う人は〇〇だ」的論調に飛んでたら全員無知の馬鹿になってしまう。
あなたが馬鹿ではないのは、このコメントからもわかりますが、いつも議論を「印象論」にしてしまう致命的な欠陥があるように思います。
これは北村弁護士個人の問題ではなく、メディア論です。
テレビなどのメディアで、ある人物が犯罪に関与した「可能性」について言及したとして、それがその時点での状況から「妥当性がある」として、その後、その可能性が覆ったからと言って「謝罪」が必要だということになれば、メディアで「リスクのある発言」をする人はいなくなります。
北村弁護士が謝罪したのは「メディアで発言する専門家」としての自覚の欠如からきているわけで、それを「普通のおっさん」と言ったわけです。
この理屈があなたにはぜーんぜん理解できないのだと思います。
情に流されて、せっかくそれまで考えていたことを無に流してしまうのが"謝罪"、間違った点を見つめ直し、そこからも異なる見方のアプローチを掬い取るように学ぶのが"訂正"。
言論を豊かにするために、意見を出し合った者が行う作業です。
そういうことです。
>テレビなどのメディアで、ある人物が犯罪に関与した「可能性」について言及したとして、それがその時点での状況から「妥当性がある」として、その後、その可能性が覆ったからと言って「謝罪」が必要だということになれば、メディアで「リスクのある発言」をする人はいなくなります。
一語一句同意です
まさにおっしゃる通りで毎日ニュースで報道されている政治家の不正問題だったり事件で逮捕された容疑者の話題を取り上げる事すら難しくなってきますね
大谷翔平という日本国民の英雄だから皆感情的になって彼を擁護・彼への批判意見に対して糾弾しているので主張も過激化しておりますが客観的に見て非常に危険ですね