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大谷翔平がフジ、日テレを出禁にした件について「野球ファンは大谷のプライベートなんか知りたくないのだから、報道しなくていい」みたいな意見があると思うが、それは全く間違いだ。
よくニュース番組などで「視聴者が知りたいニュースをどんどんお伝えします」みたいなことをキャスターが言うが、日本のジャーナリズムは「ここまで劣化したか」とあきれてしまう。

報道が「視聴者、読者が知りたいことを伝える」ことであり、それによって新聞や番組を「販売する」行為であるとすれば、取材対象は、メディア側の商売に「協力」していることになる。取材対象にとってメリットがある報道であれば、協力しても良いと思うだろうが、スキャンダルやネガティブな報道もある。そうした報道もメディアの「商売」であるとすれば、取材対象は「なぜおまえたちの金儲けのために、俺たちが協力しなければならないのだ」と言うだろう。

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「視聴者が知りたい情報を伝達する」とは、つまるところ「マーケティング」であり「商売をするための道具」である。報道がマーケティングだとすれば、取材対象はそれに協力する義務はない。また、その報道は「広告」「エンタメ」と何ら変わらないことになる。

しかし報道=ジャーナリズムは、マーケティングではない。民主主義国家において「国民の知る権利」を代行する責務を帯びて、世間に様々な「真実」を伝えている。
その一環として国民が「知りたいこと」も報道する。その点ではマーケティングと重なる部分はあるが、同時に国民が「知らないこと」「隠されていること」「嘘をつかれていること」を、取材によって明らかにする責務もある。
新聞、テレビなどの記者が、取材対象に無条件で取材することができるのは、それがマーケティング、商売ではなく「国民の知る権利の代行」だからだ。
その責務があるから、メディアは取材対象と「癒着」してはいけないのだ。癒着して、取材対象が都合の良いような報道をしたり、知り得た秘密を隠匿したりするのは、国民に対する背信行為になる。

大谷翔平の今回の話は、取材内容としてはメディアがわざわざ報じるべきものとは思えない。しかし、大谷翔平の機嫌を損ね、それをメディアが「恐れおののく」とすれば、それは本末転倒だと言える。
取材対象にメディアが恐れおののき、気を使うのは、ロシアや中国などの独裁国家での風景のはずだ。

メディアが恐れるべきは、国民、読者の評価であって、有名なアスリートのご機嫌ではないのだ。


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