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桂ざこばについては、思い出がありすぎて一言では語れない。落語について語る前に、まずは、一番思い出にある話を。このブログで2013年5月11日に書いたエピソードをもう一度紹介する。

今は桂ざこばを襲名している上方の噺家が、まだ朝丸と名乗っていた時期にはじめてホールで独演会を開いたのは、33年前のことだった。
師匠の桂米朝はその会のパンフレットに、こんな一文を寄せた。

朝丸と南海電車に乗っていて、難波に近づき車窓から大阪球場の灯りがちらっと見えると、
朝丸は「今日は暑かったから、ビールがよく売れるやろうと思います」
と言った。
朝丸は、家庭の事情で中学からアルバイトをしていた。こんなあどけない子どもが、重たいビールを担いで、急な段差のある球場を上り下りしていたかと思うと、胸が詰まるような思いがした。
その朝丸が、今日、初の独演会を開く。褒めてやってほしいと思う。


朝丸は、高座に上がるなり、「パンフレットの文章、よんでくれはりましたか」と客席に言い「嬉しい」といって男泣きに泣き始めた。
客席ももらい泣きをし、それから大きな拍手が起こった。

昭和22年生まれの現ざこばが大阪球場でアルバイトをしていたのは、昭和30年代半ば。南海ホークスの全盛期だ。杉浦忠、野村克也、広瀬叔功らが活躍していたはずだが、ざこばはグランドに目をやる余裕もなく懸命にビールを売り歩いていたのだろう。

スタジアムに行けば、必ずビールが飲みたくなる。しかも必ず売り子から買いたくなる。
それは、こうしてビールを売り歩く人たちは、みんな何がしかの「物語」をもっていると思うからだ。
「がんばれよ!」という気持ちを込めて、1000円札を渡すのだ。


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