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高校野球を見て、いつも思うのは「試合に出られなかった野球部員の応援は『任意』にすべきではないか」ということだ。
野球だけでなく、スポーツには「出場できる選手」が限られている。「選手」という名の通り「選ばれた人」だけが試合に出ることができる。他の部員は、試合には出られなくなる。

高校野球もそうだし、インターハイもそうだが、試合に出られなかった選手(矛盾しているけど)は、スタンドから応援することになっている。
「仲間が出場するんだから、応援するのが当たり前じゃないか」
「お前が至らなくて選手に選ばれなかったんだから、もっと努力して出場することになった選手に敬意を表して試合の応援するのは当然だろう」
という理屈だろうが、高校部活は「プロスポーツ」ではない。技能の優劣、競技成績の優劣だけが評価基準ではない。
部員一人一人が、自分の課題に挑んで、それなりの成果を上げるのも立派な目標だ。さらに言えば、スポーツは「健康で文化的な生活」を送るための手段の一つなのだから「楽しみ」でスポーツ部活をするのだって、立派な高校部活のはずだ。

だとすれば、試合に出られなかったからと言って、仲間の応援をしなければならないとは限らない。
貴重な夏休みの時間を、どのように過ごすかは部員の判断に任されるべきではないか。

もちろん、そのうえで「俺はあいつらを応援したい」「試合を見届けたい」と思う部員がいても良いとは思うが、「夏休みは受験勉強したい」とか「野球以外のことをしたい」「女の子と遊びたい」という部員がいても当然良いのではないかと思う。

指導者は「試合に出なくてもチームは一心同体だ、出ていないやつも応援で参加すべきだ」と思うかもしれないが、それは指導者の一方的な思い込みであって、どうするかは彼ら次第ではないのか。「行かなくてもいいのなら、試合は見に行きません」という部員がいても、当然なのではないか。

私はずっと前から、炎天下で馬鹿みたいに応援している「補欠部員」が気の毒で仕方がないと思っていた。
コメント欄には
「まるで自分たちが歌ったり踊ったりすることに酔っているかのように感じられ果たしてそれがグラウンドでプレーしている選手たちを後押ししているのかと疑問に感じることがしばしばあります」
というのがあったが、戦前の全体主義じゃあるまいし、自分にとって何のためにもならないことをやらされているのだから、せめて「応援を楽しんでくれれば」と思うばかりだ。

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