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昨日の京セラドームは、満員札止めだった。オリックスの今季最終戦だったからだが、T-岡田、安達了一、小田裕也の「引退試合」だったことも大きい。私は行かなくてよかったと思った。
引退する選手に対して、くどいほどに「別れを惜しむ」ようになったのは、ここ10年ほどのことではないか。
大したことない選手でも、公式戦に「引退試合」を混入させ、猿芝居みたいな真似を相手選手にまで強要して「お涙頂戴」をする。それをすればお客が入るから、球団がどんどんそれをやるようになった。
その結果として「敗退行為まがい」が横行するようになった。

2017年、NPBは「引退特例」として1日限り1回限り、引退表明した選手を支配下登録できるルールを作った。これが公式戦出場を後押ししているのだが、だからといってNPBは公式戦で「敗退行為と疑念を持たれるようなプレー」を推奨しているわけではないだろう。
こういう選手は、公式戦の前にファンに挨拶をするだけで全く構わないと思うのだが、なぜか公式戦に出るのが常態化しているのだ。

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「お涙頂戴」と言えば、昭和の時代の藤山寛美を思い出す。かれは「松竹新喜劇」の座長として、多くの観客を動員したが、くどくてしつこい芝居で、お涙を頂戴してきた。確かに寛美はものすごい役者だったが、何度でも同じセリフを繰り返し、これでもかとばかりに念押しをする演技には辟易とした。
しかし新聞も本も読まないような田舎のおばさんには「思わせぶり」は理解できない。そこまでするから紅涙を絞るようになるのだ。

どうように、今の「引退試合」は、一番レベルの低いファンにターゲットを合わせている。ごてごてと「別れを惜しむ」シーンが用意されて、そのたびに涙を流すファンがいるのだ。要するに「こんなに選手のことを思っている俺」に酔っているのだ。

誤解を恐れずに言えば、戦力でなくなった選手はさっさと球場を後にすべきなのだ。別れ際は、あっさり、さらっとしている方が恰好が良い。美学がある。
昔は1000本安打を打っても100勝しても、オフにクビになればそのまま野球選手ではなくなったのだ。「そういうやあの選手、やめたのか」と気が付くファンの心にのこればそれでいい。

この風潮は「応援団」という「自己陶酔集団」の増長と軌を一にしているのだと思うが、嘆かわしいと思う。




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