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未だに「暴力」を「体罰」と称して、あたかも「教育」であるかのように認識している連中と、フジテレビ、中居騒動について「騒ぎすぎ」「もっと大きな事件が起きている」という連中は、おそらくかなり重なっているのではないかと思う。
いずれも「昭和の昔はこうだった」という認識のまま、令和の今を生きていると言うことだろう。

昔の運動部活では、指導者は選手に暴力を振るうのが「当たり前」だった。若者は目上の者から、どつかれ、罵倒されることで「根性」が身についていったのだ。「いいか、お前を殴れば、俺だってこぶしが痛いんだよ。そうまでして殴っていることをわかれよ」みたいなことを言っていた。

そして昔の「会社」では、女性社員は「職場の花」であり、オフィスにあっては「お茶くみ」「社員の机の掃除」をして、宴席では上役やお客の横に侍るものだった。そういうばで「女としての躾」を身に着けて「良妻賢母」になっていったのだ。「性被害」とまで行けば、それはやりすぎかもしれないが、女が男社会で生きていくには、そういう場で可愛がられる「賢さ」を身に着けないといけなかった。

この二つの話には、じつは「錯覚」がある。昭和の昔でも、選手を殴らず、自主性に任せ、のびのびと指導をしていた指導者はたくさんいた。また、企業でも、女性社員を「社員」として尊重し、彼女たちの能力を活用していた会社もあったのだ。もちろん少数だったかもしれないが。

「昔の社会は、みんなそうだったのだ」というのは、自分たちの愚かな振る舞いを正当化したい連中の言い種だ。

そしてこの手の連中は、日本の人権意識が変化して、欧米社会並みになりつつあることに気が付いていない。「どうのこうの言ったって、今も昔もやってることは一緒なんだ」と思いたがっているのだ。

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『昭和頭」は、厚かましいうえに、上にこびへつらうのがうまいから、日本社会では、今でも「出世」するのだ。
その結果として「体罰=暴力」も「セクハラ」も「女性蔑視」もなくならない。

私はスポーツ界の暴力、パワハラについては、もっと大きく取り上げるべきだと思っているし、フジテレビ、中居正広のニュースもさらに深掘りすべきだと思っている。

トランプもウクライナも中国も大事だが、足元の日本にも大事な話は転がっている。





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