昨日、Number Webにこんな記事をアップした。

Sarah
サラ・エドワーズは去年のジャパンウィンターリーグリーグに、ベースボールジョブズオーバーシーズ(BJO)から、ゲームコーディネーター(監督に相当)として派遣されていた。男子の野球を指導する女性コーチは希少だが、彼女は世界から来た選手たちを堂々とさばいていた。

ぜひ、取材をと思って、彼女の上司の坂梨さん(野球オーストリア代表監督)に通訳を頼んで、取材をしたのだ。
美しい女性ではあったが、非常に芯が強くて、譲れないところは譲れない、という決然とした部分があると思った。「鉄火姐さん」みたいな印象だった。
私は昨年もJWLに来た外国人の指導者を取材して記事にしている。その一環で彼女を指導したのだが、同時に彼女が女性で、しかも人目を惹く容姿であることも取材の動機になったのは間違いない。
しかしながら、競技者、指導者としての彼女の属性に注目するのではなく、容姿だけが取り上げられるようではだめだ、という認識もあった。

IMG_8642


果たして、文春の編集者は彼女の容姿ではなく、男性の中での女性指導者と言う部分をクローズアップした見出しを付けた。「それでこそ」と思ったものだ。

スポーツ紙やその他の雑誌系メディアなら、絶対に「美人監督」「美人指導者」という見出しを付けただろう。

今もネット上には「美人何たら」という見出しが氾濫している。結局「美人」という見出しを付ければ「どんな女性だろう」と見に行くお客が増えるのだろう。

フジテレビの女子アナが「容姿」で選ばれていることに、世間の批判が集まっているが、男中心の日本社会は、未だに女性を「職場の花」とか「紅一点」とかいう表現をすることが多い。女性の「容姿」に気に掛けることが「性的対象」にしているわけではないが、少なくともその女性の「能力」「主義主張」などよりも「美人か、不美人か」に焦点が当たっていることは間違いない。

例えば企業の社外取締役に女子アナ上りがたくさん起用されるのも、彼女たちの「見識」よりも「容姿」が重視されているのではないか、という疑念が残る。「懇親会では、彼女からお酌してもらえそう」「お近づきになれるかも」みたいな期待がある。
今の日本の経営者の多くは、セクハラし放題で出世してきたから、その卑しい下心が、社外取締役のキャビネットにも表れている。「女性の権利獲得の闘士」みたいなタイプの女性、「〇〇女史」と言われるような女性は敬遠されるのではないか。

フジテレビが女子アナを性的対象のように扱ったのは、日本社会にそういう「下卑たニーズ」があったからである。

女性でも男性でも「容姿」が気になるのは当然のことではあるが、「容姿」は、個性の一つに過ぎず、その人物が本当に評価してほしい部分を、しっかり評価するのが、まともな人間だと言えよう。




私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!

81UUCLO+nDL._SY466_

https://amzn.to/47hJdhC

2021年山本由伸、全登板成績【投手五冠にリーグ優勝に金メダル】

NOWAR