今朝は吉田義男についてNuber Webに書いた。

Yoshida-
文中、1点間違いがあって、中野拓夢は「遊撃から二塁にコンバート」されたのだが、ぎりぎりで追加したときに逆になってしまった。Yahoo!転載後指摘が相次いだ。修正指示をしたが、もうちょっと手遅れだ。こういうことはネット記事ではよくある。編集者も見落としてしまうのだ。

ジャイアント馬場こと馬場正平が巨人の投手だった時に、最初に対戦した打者が吉田義男だった。身長差30㎝と書いたところ、Yahoo!コメントで「馬場正平209㎝、吉田義男167㎝だから40㎝が正解」という指摘がいくつかあった。

馬場正平については、10年前に「巨人軍の巨人、馬場正平」という本を書いたときに、現地に泊まり込んで、生存していた関係者に話も聞いてしっかり調べた。
身長に関しては、巨人入団時には191㎝とはっきりわかっている。1956年12月、まだこの時点では脳下垂体下の良性腫瘍が成長ホルモンを圧迫し続けていたので身長は伸び続けていたが、200㎝はなかった。

「巨人軍の巨人、馬場正平」を書くに際して、馬場正平のいくつかある自叙伝にもちろん目を通したが、重要な部分で、ことごとく間違っていることが分かった。

まず三条実業時代。馬場は夏の甲子園の予選で「三条実業は長岡工に0-1で敗れた。自分が9回に三塁打を打たれ、味方の失策で負けた」と書いているが、実際には長岡高と対戦して0-1で敗退している。長岡工との試合は、そのあとの秋季大会だ。
これは、当時の新聞を閲覧したので、動かしようがない。

巨人に入団後、馬場は東大の清水健太郎医師の執刀で脳下垂体の腫瘍を除去する手術をするが、馬場はこれを1957年12月、としているが、執刀医の孫弟子にあたる脳神経外科医を通じて当代の手術記録を取り寄せたところ、1956年12月だった。
その手術の後、馬場は調子がよくなって、一軍に昇格し、吉田義男と対戦しているのだ。

このことについてはNumber Webに書いた。

この部分、Wikipediaの記述は、Number Webの記事が出て以降は、改められた。

馬場の身長は手術後も伸び続けていた。200㎝程度になっていたと思われるが、プロレスに行ってから発表された209㎝は「誇張」の可能性がある。

もう一つ、馬場は手術前、二軍のエース格だったとして、Wikipediaには

2年目となる1956年には二軍で12勝1敗、翌1957年に13勝2敗の成績を収め、2年連続二軍の最優秀投手賞を受賞した

と書いてあるが、これは真っ赤な嘘だ。イースタンリーグは1955年に始まったが、1年で中断し1960年まで再開されなかった。ファームリーグそのものがなかったのだから、記録などあるはずもない。
巨人だけの練習試合でこういう成績を残したのか、と思って調べたが、馬場はそんなに投げていない。この記述、二宮清純の2012年の本に拠っている。そのもとは、馬場の自叙伝だ。

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これについても馬場の本が出てからWikipediaの記述はいったん改まったのだが「編集合戦」がおこって、再び元の記述に戻っている。

馬場信者と言われる書き手が、推し戻したのだと思う。

冒頭に私のミスについて述べたように、記事には紙もネットもミスがつきものだ。私も自戒したいところだ。真相が明らかになったら、改定すべきだと思うのだが、Wikipediaの場合、往々にして「書き手の思い入れ」が、事実を枉げてしまうことがある。やりたい放題して、それがまかり通ることがあるのだ。

今や物書きにとって、Wikipediaは避けて通れないメディアではあるが、これを見ただけで書くことができないのは、Wikipediaにはファクトチェックが事実上存在しないからだ。しかも、匿名者が無断で加筆、書き代えをすることができる。

私のこともWikipediaに載っているのだが、頼みもしないのに個人情報も含めいろいろ載っていて不愉快で仕方がない。中には自分で自分のことをWikipediaに載せている人がいるようだが、こんないい加減なサイトに載っていいことなどあるはずがない。
私の項については削除依頼をしているのだが、編集部のようなものも存在しないので、応じる気配がない。

タダでいつでも見ることができるWikipediaは、物書きにとっては必須ではあるが妄信することはできない。




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