
この問題の難しいところは容姿の「美醜」は確かに存在して、この社会には、男女問わず、美しい容姿でないと務まらない仕事や役どころが「ある」ということなのだ。
俳優(女優、男優)という仕事には、様々な役どころがあるが、いわゆる「二枚目」「花形」と言われる役どころは「容姿端麗」な俳優が演じることになる。ルッキズム(外見至上主義)は、この場合、一定程度正当化される。もちろん、抜群に容姿が良くない俳優が「主役」「花形」をつとめることもある。これはルッキズムを超えた「魅力」「能力」が、その俳優に備わっているからだ。例を挙げるのは適切ではないかもしれないが、西田敏行や大泉洋、泉ぴん子などの俳優は、そういうことかもしれない。
また、容姿の「美醜」の感覚は幅広い。女性で言えばファニーフェース、男性では渋い二枚目などと言われる俳優の中にも、一般的なルッキズムの「レンジ」に収まらない人がいる。
つまり、俳優という職業はルッキズムが前提ではあるが、かなり多様性があると言うことだ。
しかし「モデル」となると、その幅はぐっと狭くなる。モデルは「服を着てそれを魅力的に見せる」ために存在するから、スタイルと容姿以外の要素はほとんど求められない。ルッキズムだけ、と言っても良いはずだ。もちろんそこには人種や文化などによる「幅」があるのだけども。
しかし俳優、モデル以外の職種は、基本的にルッキズムを必要としないはずだ。
アナウンサーはニュースを読んだり番組のMCをつとめる職業だが、求められるのは「正確で、耳障りの良いしゃべり」や「番組を進行する能力」であって、容姿は関係がないはずだ。しかし、アナウンサーはテレビで顔を晒す仕事だから「容姿」が重要だと言う見方もある。
それは、テレビの視聴者が、俳優も女優もアナウンサーも一緒くたに見ているからではあろう。視聴者にとっては同じ「テレビの向こうのきれいな人たち」「庶民とは違う憧れの存在」だからだ。
テレビ局の幹部社員は「視聴者が求めるから」と、美しい女性を「選り好み」しがち、なのだろう。
しかし建前上、アナウンサーはジャーナリストであり「美醜」ではなく能力で選ばれている「はず」である。
この当たりの「建前」と「本音」のはざまに、メディアに「ルッキズム」が蔓延する余地があるのだと思う。
今のメディアは何かにつけて「美しすぎる」と言いたがる。
業種、業界を限定せず、鵜の目鷹の目で「美人」を探しまくっている、という印象がある。どんな職業であれ「美人」であれば、世間は「そうでない人」よりも注目し、アクセスを稼げるからだ。職業上必要がないはずの「美しさ」がある人は、そのアンバランスもあって注目されるのだ。
「美しすぎる国会議員」「美しすぎる競馬騎手」「美しすぎる将棋棋士」「美しすぎる野球選手」なんてのもいた。本来、記事の中身としては彼女たちの「本業」について取り上げないといけないはずだが、そのあたりがいい加減で、容姿だけを喧伝するから、おかしなことになるのだ。
私だって、サラ・エドワーズを取り上げたときに、そうした「下心」がなかったわけではない。しかし私も文春編集部も「容姿」に一切触れなかった。このあたりの「自制心」が必要なのだと思う。
日本だけではないが、今ほど人が「美醜」にこだわる時代はないのではないか。韓国や中国だけでなく、日本でも美容整形が盛んになったのは「ルッキズム」が、これらの国を席捲しているからだろう。

このことでいつも思うのが、CA、昔で言うスチュワーデスだ。日本の航空会社のCAは「容姿端麗」と相場が決まっている。彼女たちが相手にする航空機の顧客のメインは上流社会の「男性」だ。彼らは「美人」が大好きだから、航空会社もそういう女性を採用する。しかしCAに求められているのは、接客に加えて、機内の治安を守るための応急措置能力、危機管理能力のはずだ。CAはルッキズムだけで採用することがあってはならないはずだ。
たまに海外の航空会社の飛行機に乗る。私は安い飛行機にしか乗らないが、そういう飛行機のCAは、歳も取っていて、腕っぷしも太くて、ハイジャックの一人や二人、羽交い絞めにしそうなたくましい女性が多い。こちらの方がCAの本来の姿ではないかと思う。
難しい話だが、どんな容姿の人であれ、大事なのはその人の「仕事の能力」「考え方」「信条」なのだと言うことを我々は忘れてはならないのだと思う。
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しかし「モデル」となると、その幅はぐっと狭くなる。モデルは「服を着てそれを魅力的に見せる」ために存在するから、スタイルと容姿以外の要素はほとんど求められない。ルッキズムだけ、と言っても良いはずだ。もちろんそこには人種や文化などによる「幅」があるのだけども。
しかし俳優、モデル以外の職種は、基本的にルッキズムを必要としないはずだ。
アナウンサーはニュースを読んだり番組のMCをつとめる職業だが、求められるのは「正確で、耳障りの良いしゃべり」や「番組を進行する能力」であって、容姿は関係がないはずだ。しかし、アナウンサーはテレビで顔を晒す仕事だから「容姿」が重要だと言う見方もある。
それは、テレビの視聴者が、俳優も女優もアナウンサーも一緒くたに見ているからではあろう。視聴者にとっては同じ「テレビの向こうのきれいな人たち」「庶民とは違う憧れの存在」だからだ。
テレビ局の幹部社員は「視聴者が求めるから」と、美しい女性を「選り好み」しがち、なのだろう。
しかし建前上、アナウンサーはジャーナリストであり「美醜」ではなく能力で選ばれている「はず」である。
この当たりの「建前」と「本音」のはざまに、メディアに「ルッキズム」が蔓延する余地があるのだと思う。
今のメディアは何かにつけて「美しすぎる」と言いたがる。
業種、業界を限定せず、鵜の目鷹の目で「美人」を探しまくっている、という印象がある。どんな職業であれ「美人」であれば、世間は「そうでない人」よりも注目し、アクセスを稼げるからだ。職業上必要がないはずの「美しさ」がある人は、そのアンバランスもあって注目されるのだ。
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私だって、サラ・エドワーズを取り上げたときに、そうした「下心」がなかったわけではない。しかし私も文春編集部も「容姿」に一切触れなかった。このあたりの「自制心」が必要なのだと思う。
日本だけではないが、今ほど人が「美醜」にこだわる時代はないのではないか。韓国や中国だけでなく、日本でも美容整形が盛んになったのは「ルッキズム」が、これらの国を席捲しているからだろう。

このことでいつも思うのが、CA、昔で言うスチュワーデスだ。日本の航空会社のCAは「容姿端麗」と相場が決まっている。彼女たちが相手にする航空機の顧客のメインは上流社会の「男性」だ。彼らは「美人」が大好きだから、航空会社もそういう女性を採用する。しかしCAに求められているのは、接客に加えて、機内の治安を守るための応急措置能力、危機管理能力のはずだ。CAはルッキズムだけで採用することがあってはならないはずだ。
たまに海外の航空会社の飛行機に乗る。私は安い飛行機にしか乗らないが、そういう飛行機のCAは、歳も取っていて、腕っぷしも太くて、ハイジャックの一人や二人、羽交い絞めにしそうなたくましい女性が多い。こちらの方がCAの本来の姿ではないかと思う。
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