
上記の本の問題はまた別で、政治案件だが。
日本維新の会が推進している「高校無償化」政策、一見よさげに見えるが、よく考えてみるとどうなのだろう、といろいろ疑問がある。
維新の案は、私学も公立も全部の高校の授業料を無償化すると言うものだ。
無償化と言うなら、公立高校だけにすればいいものだが、恐らくは「そんなことをすれが、生徒が公立に流れてしまう」と私学高校連盟からクレームがあったのだろう。
私学も公立も授業料が無料となれば、より個性的で先進的な教育を行う私学に生徒が流れそうな気がする。もちろん、私学はより高度な教育内容を維持するため設備や教員の拡充を図る必要があるから、授業料とは別に設備費などを徴収するだろうし、寄付金も半ば強制的に求めることにはなろう。だから、公立校に比べれば「割高」にはなるだろうが、それでも「安価で良質の教育を提供する」という公立高校の存在意義が失われるだろう。
少子化が止まらない中、高校無償化は「公立校」の存立にかかわるのは間違いない。
既に維新政権の大阪府は高校無償化を実施している。私は大阪府で子育てをしたが、この制度ができる前に二人の子供を中学から私学にやってずいぶん学費がかかったものだ。しかし高校無償化以降、公立校の閉鎖、合併がどんどん進んでいる。
公立高校には、公立ならではの「伝統」がある。教育界は保守的で、頭が固いが、それでも公立ならではの「良さ」がある。
私は、野球界のことしか知らないが、公立高校の指導者は「甲子園」とはあまり縁がないが、野球好きの若者を育てるために、よく考えられた指導をする人がたくさんいた。レギュラーにも控えにも、等しく機会を与え、じっくりと教える人が多かった。また、そういう指導者の下、公立の伝統ともいうべき「高校野球の流れ」ができていたのも事実だ。
私学の場合、経営者は常に「経営」「売り上げ」を考えている。野球部は、学校の知名度を上げて生徒募集をするために「甲子園」に行くことが求められる。だから良い選手を獲得し、設備投資をしようとする。そんな中で「勝利至上主義」になることも多い。
最近、私が知るある私学の監督が解任された。その監督自身は名門私学出身で甲子園に行き、大学も東京六大学というエリートだったが、自身は、「生徒が楽しくない野球」をすることに疑問を覚え、選手の自主性を重んじる野球をさせていた。高校野球のリーグ戦Liga Agresivaにも参加していた。この監督は、自分のことを「先生は、」というのが常だった。監督と言うより教育者という意識だったのだろう。
しかし、経営者から突然監督を解任され、やがて退職に至った。後任監督は勝利至上主義だったようだが、着任後すぐに「指導者の暴言」で、謹慎処分になった。

私学は、公立と異なり、近視眼的で短絡的な成果主義に陥りがちなのだ。そういう高校が高率と同じ無償化になるのは、大丈夫なのか?と思ってしまう。
また、私学の中には「創業者一族」が長く経営に携わって、独裁的、独善的な学校運営をする学校もある。東京女子医大の理事長の小型版みたいな経営者もいるのだ。私は私学の広報広告の仕事を20年ほどしたが、ギャラは理事長の親族の会社経由で請求するように言われたものだ。迂回することで経費の水増しをしていたのだろう。
貧富の格差が広がっている。また貧困家庭の子供が貧困になる「貧困の再生産」も深刻化している。
大事なのは低収入家庭の子供に、より良質な教育を与えることだろう。それこそが、社会の治安の安定、そして新たな人材開発のベースとなるはずだ。
本来なら公立の小中高校の無償化に加え、給食やアフタースクールなども無償化し、子どもが貧富に関わらず安心して学べる環境を整備すべきだ。
そうならないのは、前述のとおり「私学の反対」があるからだろうが、同時に新自由主義を標榜する維新が「勉強ができる子、優秀な子の教育環境を充実させて、スーパーエリートを作る」ことにより力点を置いているからだろう。
金持ちは、ほおっておいても自分の子供の教育に金をかけるものだ。金がかかってもより高度で充実した学校に入れようとする。そういう家庭にまで「無償化の恩恵」を与える意味はないと思う。
社会全体の教育水準を維持、向上させるために必要なのは、公立高校の無償化と、低収入家庭への手厚いサポートだ。
全部突っ込みの「高校無償化」は維新のポピュリズムだと断言できる。
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無償化と言うなら、公立高校だけにすればいいものだが、恐らくは「そんなことをすれが、生徒が公立に流れてしまう」と私学高校連盟からクレームがあったのだろう。
私学も公立も授業料が無料となれば、より個性的で先進的な教育を行う私学に生徒が流れそうな気がする。もちろん、私学はより高度な教育内容を維持するため設備や教員の拡充を図る必要があるから、授業料とは別に設備費などを徴収するだろうし、寄付金も半ば強制的に求めることにはなろう。だから、公立校に比べれば「割高」にはなるだろうが、それでも「安価で良質の教育を提供する」という公立高校の存在意義が失われるだろう。
少子化が止まらない中、高校無償化は「公立校」の存立にかかわるのは間違いない。
既に維新政権の大阪府は高校無償化を実施している。私は大阪府で子育てをしたが、この制度ができる前に二人の子供を中学から私学にやってずいぶん学費がかかったものだ。しかし高校無償化以降、公立校の閉鎖、合併がどんどん進んでいる。
公立高校には、公立ならではの「伝統」がある。教育界は保守的で、頭が固いが、それでも公立ならではの「良さ」がある。
私は、野球界のことしか知らないが、公立高校の指導者は「甲子園」とはあまり縁がないが、野球好きの若者を育てるために、よく考えられた指導をする人がたくさんいた。レギュラーにも控えにも、等しく機会を与え、じっくりと教える人が多かった。また、そういう指導者の下、公立の伝統ともいうべき「高校野球の流れ」ができていたのも事実だ。
私学の場合、経営者は常に「経営」「売り上げ」を考えている。野球部は、学校の知名度を上げて生徒募集をするために「甲子園」に行くことが求められる。だから良い選手を獲得し、設備投資をしようとする。そんな中で「勝利至上主義」になることも多い。
最近、私が知るある私学の監督が解任された。その監督自身は名門私学出身で甲子園に行き、大学も東京六大学というエリートだったが、自身は、「生徒が楽しくない野球」をすることに疑問を覚え、選手の自主性を重んじる野球をさせていた。高校野球のリーグ戦Liga Agresivaにも参加していた。この監督は、自分のことを「先生は、」というのが常だった。監督と言うより教育者という意識だったのだろう。
しかし、経営者から突然監督を解任され、やがて退職に至った。後任監督は勝利至上主義だったようだが、着任後すぐに「指導者の暴言」で、謹慎処分になった。

私学は、公立と異なり、近視眼的で短絡的な成果主義に陥りがちなのだ。そういう高校が高率と同じ無償化になるのは、大丈夫なのか?と思ってしまう。
また、私学の中には「創業者一族」が長く経営に携わって、独裁的、独善的な学校運営をする学校もある。東京女子医大の理事長の小型版みたいな経営者もいるのだ。私は私学の広報広告の仕事を20年ほどしたが、ギャラは理事長の親族の会社経由で請求するように言われたものだ。迂回することで経費の水増しをしていたのだろう。
貧富の格差が広がっている。また貧困家庭の子供が貧困になる「貧困の再生産」も深刻化している。
大事なのは低収入家庭の子供に、より良質な教育を与えることだろう。それこそが、社会の治安の安定、そして新たな人材開発のベースとなるはずだ。
本来なら公立の小中高校の無償化に加え、給食やアフタースクールなども無償化し、子どもが貧富に関わらず安心して学べる環境を整備すべきだ。
そうならないのは、前述のとおり「私学の反対」があるからだろうが、同時に新自由主義を標榜する維新が「勉強ができる子、優秀な子の教育環境を充実させて、スーパーエリートを作る」ことにより力点を置いているからだろう。
金持ちは、ほおっておいても自分の子供の教育に金をかけるものだ。金がかかってもより高度で充実した学校に入れようとする。そういう家庭にまで「無償化の恩恵」を与える意味はないと思う。
社会全体の教育水準を維持、向上させるために必要なのは、公立高校の無償化と、低収入家庭への手厚いサポートだ。
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コメント
コメント一覧
>大事なのは低収入家庭の子供に、より良質な教育を与えることだろう。それこそが、社会の治安の安定、そして新たな人材開発のベースとなるはずだ。
この点を政治家たちはゆめゆめ忘れないでほしいです。公教育を蔑ろにする国は、滅びますよ。