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血糖値を気にしながら生きているので、自然、肉、脂、炭水化物は、固く戒めるようになってくる。
昨日は、鹿児島で親しい人とちょっとだけお酒をしたが、食べたのは桜えびとかシラスだった。
ごくたまに肉をたべないではないが、罪悪感は半端ない。そういう夜は「きゅうり」「キャベツ」「白菜」「トマト」みたいなものばかり食べている。スイッチョンみたいな人生だ。

そういう生活で、食べ応えがあってしかも罪悪感のないものは何か、と言われると「ウナギ」ということになる。ウナギは甘くて、脂っぽくて、こってりしているのだが、それでも「魚」の類なので、血糖値があまり上がらない(私だけかもしれない)。
だから、多少張り込むこともある。

東京駅丸の内口のOAZOにある「きたお」とか、大阪の「菱富」「いずもや」とか。時に値の張る店に行くこともある。ただ、うなぎの値段と「味」はそんなに比例しない。

10日ほど前に私は吉野家の「うな重」を弁当にして食べた。1000円ちょっとではあったが、普通にウナギの味がした。たれはかなり甘くてくどかったけども、ウナギはウナギだった。

江戸前と上方みたいな差別もそれほど気にならない。今は関西でも「菱富」「菱当」みたいに関東風がはやりだが、パリッとした触感が受けるのかもしれない。

高知で食べた「ウナギの白焼き」のおいしさは、以前に書いた記憶がある。

牛肉と違い、ウナギの「肉」そのものは、安くても高くても、変わらない。今はほぼ「養殖」だ。といっても、シラスは川からとってくるのだけども。だから「本体の味」に変わりはないのだ。もう30年ほど前に、三重県名張で川で捕って来たウナギを食べた記憶があるが、うまかったかどうか忘れてしまった。
「本体の味」が変わらないのなら、値段に差がつくはずがないのだが、うな重一つとっても、1000円から5~6千円までえらい差がある。この差は何かというと、単に「ウナギの量」と「職人の手間賃」である。
「吉野家」の「うな重」は、観ていると、おばさんが真空パックの封を切ってウナギを取り出して、オーブンレンジでチンして、ご飯にのっけている。高い店は、当然、活きたウナギを割いて開いて、串に打って焼いているわけで、単にその差だ。

だから安いのでいいはずなのだが、私はときに高いのが食べたくなる。特に出張終わりであとは帰るだけになった開放感あるタイミング。沖縄の出張終わりはステーキを食べるが、それ以外はウナギが多い。

今日は、鹿児島の球場で取材を終えて、この地では有名な「やまげん」の鴨池店に入った。休みの日は行列ができている。2000円くらいからあるのだが、なんとなく5000円のせいろを頼んでしまった。しかも、神よ、昼前にもかかわらずビールを注文して、付け合わせの骨せんべいや肝焼きで飲んでしまった。大した仕事もしていないのだが。

感心したのは、お膳にスプーン、匙が添えられていないことだ。今は、相当なウナギ屋でも、木匙を出す。これで食えというのが今風だ。
江戸時代から食べられたウナギだが、匙で食い始めたのは、恐らく平成からだろう。
「食べやすいから」かもしれないが、料理にとって「食べやすい」は必ずしも美点ではない。
そりゃ赤ちゃんや年寄りならば「食べやすい」のがいいだろうが、青壮年にとっては食べ物は、食べにくさ、回りくどさも含めて「味」なのではないか。
江戸っ子が匙でウナギを食っていては、喧嘩も火消しもできなかったのではないか?

店内はそこそこ混んできたが「スプーンください」という人はいない。鹿児島はなかなかいいぞ、と思った。

私は大変機嫌がよくなって、ビールを飲み干すと、四角い箱に入ったウナギせいろを食べた。つるつる滑る箸で、ウナギとご飯をつまみ上げるのは至難の業だ。
一度、箱の隅にウナギとご飯を箸で押し付けてから持ち上げて食べる。なかなかに骨が折れるのだが、この不自由さが「ウナギの味」ではないかと思う。この作業に夢中になっているうちに、山椒をかけるのを忘れたのは痛恨ではあったが、気持ちよく食べ終わった次第である。

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