
2005年からプロ野球は「実数発表」になった。それでもごまかしていると騒ぐ頭の固い人がいるが、昔の「観客動員」のいい加減さは、こんなもんではなかった。
とにかく観客が入らなかったのだ。特にパ・リーグ。
1950年に日本プロ野球はセ・パ両リーグに分かれたが、この時にものすごい喧嘩をしたので、犬猿の仲のようになって、1年目の50年はオールスター戦が開かれなかった。
観客動員でも、競り合っていた。
次第に巨人が人気球団となり、セのチームはそれとともに観客動員を増やしていく。
パは、南海、西鉄が人気だったが、観客数では劣勢だった。
そこで「見せかけでも観客数を多くしたい」と、パ・リーグ総裁永田雅一らは、1956年にパの試合数を154試合にした。セは130試合だから、試合数でこれほどの差がつけば、観客動員で勝てるだろう、と思ったのだが、この年のセ・リーグは390試合で4,486,886人だったのに対し、パは616試合で3,050,340人と惨敗だった。1試合当たりで言うとセの11,504人に対してパは4952人と半分以下だった。
この数字でわかるように、この時期までは両リーグともに「実数発表」だったのだが、当時から発表は各球団に任されていたために、次第に実数とは異なる観客数を発表する球団が増えて、セは1968年から、パは71年から、観客数の数字末尾二けたが「00」の丸い数字になる。
それとともに「いい加減な数字」がどんどん独り歩きする。
NPB一軍の公式戦での最小入場数は、実数では1956年にパ・リーグの高橋ユニオンズが記録した「42人」だとされる。オーナーの高橋龍太郎の孫である秋山哲夫さんによると、この時も1500人程度の発表だったと言う。
ガラガラの観客席で「1万人」ということはなかったが、一人、二人と数えられる入りでも1000人、2000人とカウントしていた。
一方、巨人も、V9時代の後楽園球場の観客数を判で押したように「4万人」と発表していた。しかし機構が主催する日本シリーズでは実数発表になるために「2.5万人」になっていた。1970年前後で言えば、MLBで最も観客が多いニューヨーク・メッツでも「3.2万人」だったから、巨人は「世界一お客の入るプロチーム」ということになったが、MLB関係者が訪日して後楽園球場で試合を見て「こんな小さな球場に4万人も入るわけがない」と言ったことがある。
巨人は1988年に東京ドームが開場すると観客数を「5.6万人」と発表したが、実数発表の日本シリーズでは「4.6万人」だった。

ことほどさように、日本プロ野球の観客動員の数字はいい加減だった。それは、12球団が、すべて大企業の子会社で、決算書を公開していなかったからだ。
この球団はいくらお客が入って、儲かっているのか?赤字なのか?その数字が一切外に出ないから、平気でいい加減な数字を出すことができたのだ。
2005年から実数発表になったのは、プロ野球選手会長の古田敦也が「球団は赤字だと言うが、経営指標を何も出していないじゃないか。一体経営はどうなっているのか?」と指摘し、球団側が、上場していなくても「公共財」として、経営指標をある程度は公表すべき、という方向に方針転換したからだ。
それ以降の数字も実数と言いながら、売り上げなのか、入場者数なのか、球団で解釈は異なるが、経営指標と紐づく数字になったので、昔のような極端な発表はなくなっている。
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1950年に日本プロ野球はセ・パ両リーグに分かれたが、この時にものすごい喧嘩をしたので、犬猿の仲のようになって、1年目の50年はオールスター戦が開かれなかった。
観客動員でも、競り合っていた。
次第に巨人が人気球団となり、セのチームはそれとともに観客動員を増やしていく。
パは、南海、西鉄が人気だったが、観客数では劣勢だった。
そこで「見せかけでも観客数を多くしたい」と、パ・リーグ総裁永田雅一らは、1956年にパの試合数を154試合にした。セは130試合だから、試合数でこれほどの差がつけば、観客動員で勝てるだろう、と思ったのだが、この年のセ・リーグは390試合で4,486,886人だったのに対し、パは616試合で3,050,340人と惨敗だった。1試合当たりで言うとセの11,504人に対してパは4952人と半分以下だった。
この数字でわかるように、この時期までは両リーグともに「実数発表」だったのだが、当時から発表は各球団に任されていたために、次第に実数とは異なる観客数を発表する球団が増えて、セは1968年から、パは71年から、観客数の数字末尾二けたが「00」の丸い数字になる。
それとともに「いい加減な数字」がどんどん独り歩きする。
NPB一軍の公式戦での最小入場数は、実数では1956年にパ・リーグの高橋ユニオンズが記録した「42人」だとされる。オーナーの高橋龍太郎の孫である秋山哲夫さんによると、この時も1500人程度の発表だったと言う。
ガラガラの観客席で「1万人」ということはなかったが、一人、二人と数えられる入りでも1000人、2000人とカウントしていた。
一方、巨人も、V9時代の後楽園球場の観客数を判で押したように「4万人」と発表していた。しかし機構が主催する日本シリーズでは実数発表になるために「2.5万人」になっていた。1970年前後で言えば、MLBで最も観客が多いニューヨーク・メッツでも「3.2万人」だったから、巨人は「世界一お客の入るプロチーム」ということになったが、MLB関係者が訪日して後楽園球場で試合を見て「こんな小さな球場に4万人も入るわけがない」と言ったことがある。
巨人は1988年に東京ドームが開場すると観客数を「5.6万人」と発表したが、実数発表の日本シリーズでは「4.6万人」だった。

ことほどさように、日本プロ野球の観客動員の数字はいい加減だった。それは、12球団が、すべて大企業の子会社で、決算書を公開していなかったからだ。
この球団はいくらお客が入って、儲かっているのか?赤字なのか?その数字が一切外に出ないから、平気でいい加減な数字を出すことができたのだ。
2005年から実数発表になったのは、プロ野球選手会長の古田敦也が「球団は赤字だと言うが、経営指標を何も出していないじゃないか。一体経営はどうなっているのか?」と指摘し、球団側が、上場していなくても「公共財」として、経営指標をある程度は公表すべき、という方向に方針転換したからだ。
それ以降の数字も実数と言いながら、売り上げなのか、入場者数なのか、球団で解釈は異なるが、経営指標と紐づく数字になったので、昔のような極端な発表はなくなっている。
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川崎球場が本拠地だった頃のロッテは、シーズン終盤の消化試合で観客数発表500人のケースも発生していましたが、新聞のスポーツ欄を見た際に、1000人以下の発表もあるのかと驚きました。