51B82ppo6AL.__AC_QL70_ML2_


袴田英利の死去の報に接して、はて彼はいつの時代の正捕手なのか、と少し考えてしまった。そこで、千葉ロッテマリーンズの歴代正捕手と二番手を一覧にしてみることにした。
千葉ロッテマリーンズは、1950年、毎日新聞社を親会社として設立された。読売新聞の正力松太郎がMLBにならった2リーグ分立構想を発表し、ライバルだった毎日新聞の本田親男社長に「読売がセ・リーグ、毎日がパ・リーグの盟主に」と声をかけ、毎日オリオンズとして誕生した。「オリオンズ」は、毎日新聞紙上で募集して決まったニックネームだ。元は社会人の強豪だった大阪毎日野球団をもとに、チームを立ち上げるつもりだった。
このときに、センバツ高校野球を通じて交流があった阪神電鉄を通じて、大阪タイガースをパ・リーグに誘った。タイガースも一度は了承したが「巨人・大阪」の伝統の一戦がなくなることに思い至って、土壇場でセ・リーグに加盟を決定。激怒した毎日は、若林忠志、別当薫、土井垣武などタイガースの主力選手を引き抜いた。セ・パ両リーグの仲は険悪になった。

そういう曰く因縁の中でスタートした毎日オリオンズ、1950年から74年までの正捕手と二番手捕手。

1950


大阪毎日野球団の湯浅禎夫が監督。阪神から引き抜いた土井垣武が正捕手、3年連続ベストナイン。
二代目監督はタイガース出身の若林。ハワイ出身二世、三代目もタイガース出身の別当薫。捕手はハワイ、ホノルル出身のチャーリー・ルイス。打撃も良くて、外国人唯一の捕手のベストナインになっている。
チームは低迷し、パ・リーグの盟主の名は色あせる。高橋ユニオンズと大映スターズが合併して大映ユニオンズへ、そして毎日オリオンズと大映ユニオンズが合併して毎日大映オリオンズとなる。略称は「大毎」だった。大映の永田雅一が実権を握ったが、ロッテに経営を譲渡する。

正捕手は醍醐猛夫と大映ユニオンズから来た谷本稔の時代を経て醍醐の時代に。実に16年も醍醐がマスクを被る時代があった。小山正明、木樽正明、成田文男、村田兆治、金田留広など名投手の球を受けてきた。

その時代を経て西鉄から移籍した村上公康の時代が来る。73年にはベストナイン、74年にはダイヤモンドグラブ。

1975年から1999年

1975


村上は強肩好守の名捕手で、村田兆治とも名コンビだったが、1978年に野村克也が南海を追われ、ロッテに入団すると、村上は引退。南海時代に野村の控えだった高橋博士が正捕手になる。

そのあとが法政大で江川卓の球を受けていた袴田英利の時代だったわけだ。監督は法政大の先輩だった山本一義だ。袴田はベストナインもダイヤモンドグラブも受賞していない。
袴田の時代をへて青柳が正捕手。92年に千葉に移転してチームは千葉ロッテマリーンズへ。
正捕手はころころ変わった。

2000年から2024年

2000


清水将海と里崎智也の正捕手争いの時代を経て、里崎が正捕手へ。2006年、07年と村上以来のベストナイン、ゴールデングラブ。里崎はやはり名捕手だった。

光星学院高時代甲子園で活躍した田村龍弘が21歳で正捕手に。2016年にベストナイン。この時期には吉田裕太、江村直也、柿沼友哉と力のある捕手がせめぎあった。

2022年には完全試合を達成した佐々木朗希の捕手だった高卒1年目の松川虎大が注目されたが「打てる捕手」佐藤都志也が田村を抑えて正捕手に。昨年のベストナイン。

ロッテの捕手としては、醍醐猛夫、里崎智也の二人が抜きんでている。袴田はその次というところか。佐藤や松川はどうなるだろうか。

IMG_7609





Note


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!

81UUCLO+nDL._SY466_

https://amzn.to/47hJdhC

81RuVXKYO8L._SY522_


2023年森原康平、全登板成績

NOWAR