ホーナー


私と同じ世代、短期間ながら、昭和末期に強烈な印象を日本人に与えた。
高校時代から注目される選手だったが、アリゾナ州立大時代に大活躍をし、1978年ドラフト1巡目(全体1位)でブレーブスへ。ちなみにこの年全体2位のロイド・モスビーも巨人でプレーしている。

キャリアSTATS

Horner


様々なマイナーリーグを経てメジャーに昇格するMLB選手のキャリアSTATSは、長大なものになるのが一般的だが、ホーナーは一度もマイナーでプレーせず、移籍も2回だけだったので極めて短くシンプルだ。

いの一番で入団したホーナーは、マイナーでのプレーを拒否。この年のアマチュアドラフトは6月6日から6月8日までの3日間行われたが、ブレーブスと契約したホーナーは早くも6月16日のパイレーツ戦に7番三塁で出場、3番にゲーリー・マシューズ、6番にデール・マーフィ。6回にバート・ブライレブンから初安打となる2ランホームランを打っている。この年、新人王。

以後、ブレーブスの主力打者として活躍するも、怪我、故障に悩まされる。また体重増も顕著で、1983年に4年間600万ドルの契約を結んだ際には体重を215ポンド以下に維持すれば年間10万ドルが支払われるという条項が含まれていた。
派手な活躍をする選手で、86年7月6日のエキスポズ戦では1試合4本塁打を記録。しかしこの年オフにFAとなるもオーナーがFA対策で共同戦線を組んだため、契約に至らず。ヤクルトへ。

日本でもデビュー戦に強い特質を生かし、デビューから3試合連続本塁打。衝撃的なデビューを果たした。
ただ、故障の多い選手で規定打席に到達せず。オールスターに選ばれるも腰の故障で辞退。

翌年はカーディナルスのオファーを受けてMLBに復帰するも3本塁打しか打てず、引退した。

典型的なエリート選手だが、ビジネスライクな印象がついてまわった。




Note


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