蛭間豊章さんからコメントをいただき「そういや二階の押入れの奥に祖父(1905-2002)のスクラップブックがあったはず」と思ってごそごそ探して見た。
埃をかぶった茶色のスクラップブック。1936年から1942年頃までの大阪朝日新聞を中心に、切り抜きが丁寧に貼ってある。
祖父は野球好きではあったが、マニアというほどではなかった。
スクラップは日中戦争から太平洋戦争までの記録で、大部分が戦争記事だが、毎夏の甲子園の記録だけは律儀にスクラップしていた。ベタで職業野球の記事もあったように思うが、今は見つからなかった。
「嶋清一は1回戦で負けた」と言っていたが、恐らくこの1938年の夏の甲子園のことだろう。

「沸る(たぎる)健康道場」よく分からない見出しだが、要するに戦時色が濃くなる中、野球は「国民の健康増強に役立つ」ということで、存在意義が認められていたのだろう。

決勝前の記事もある。

翌1939年。こんな表をスクラップしている。記録オタクの私の血は、祖父から受け継いでいると確信した。

私は小学生くらいから、このスクラップブックを暇があると開いていた。変わった子供だったのだが、中年になってこうして読み返してみると、また違う感慨がある。
Syokuyakyuさんが、打ち込んでいる面白さが実感できる。


仕事がはかどらないなあ。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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祖父は野球好きではあったが、マニアというほどではなかった。
スクラップは日中戦争から太平洋戦争までの記録で、大部分が戦争記事だが、毎夏の甲子園の記録だけは律儀にスクラップしていた。ベタで職業野球の記事もあったように思うが、今は見つからなかった。
「嶋清一は1回戦で負けた」と言っていたが、恐らくこの1938年の夏の甲子園のことだろう。

「沸る(たぎる)健康道場」よく分からない見出しだが、要するに戦時色が濃くなる中、野球は「国民の健康増強に役立つ」ということで、存在意義が認められていたのだろう。

決勝前の記事もある。

翌1939年。こんな表をスクラップしている。記録オタクの私の血は、祖父から受け継いでいると確信した。

私は小学生くらいから、このスクラップブックを暇があると開いていた。変わった子供だったのだが、中年になってこうして読み返してみると、また違う感慨がある。
Syokuyakyuさんが、打ち込んでいる面白さが実感できる。
仕事がはかどらないなあ。
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コメント
コメント一覧
写真をスキャンすると
コピーしたようになり
見やすく、読みやすくなりますよ。
スキャンはスマホの無料アプリでも
簡単に、綺麗にできます。
ありがとうございます。スクラップブックがごわごわしているので、うまくいかなかったんです。
写真撮影⇒その後アプリ上でスキャン
となります。
つまり、スキャンはクラウド上で行います。
写真さえ撮影すれば、スキャン可ですよ。
「camScanner Free」ならば、楽に、判りやすく使えます。
私はiPhoneですが、アンドロイド版もあります。
広告はでますが、無料版で充分。
大変便利で、私はコピーを全く使わなくなりました。
叔父は大の野球ファンでしたが、スクラップなどしていません。
雑誌も残っておらず、1967年週刊朝日のプロ野球名鑑号が一番古いものでした。
スクラップをめくっていたら時間が経つのは忘れてしまいます。
広尾さんの家庭環境は素晴らしい。今頃、お爺さんは天国でにやりとしているんではないですか。
私がいなければ、汚いスクラップブックは全部処分されていたはずでした。いろいろなことに興味があった祖父で、90歳を超えてもバイクに乗っていました。野球で突き指をしたそうで、指が曲がっていました。もっといろいろ聞いておけばよかったと思います。
鈴木龍二寄贈となっていますが、実際は河野安通志のスクラップを含む蔵書を鈴木龍二が買い取って野球体育博物館に寄贈したものです。この経緯は「鈴木龍二回顧録」、「幻の東京カッブス」にも記されています。
同館図書室の入って右側の棚にコピーされたものが年代別に並べられています。愚ブログでは偶然入手することができた昭和12年以降のスコアブックを解読していますが、河野安通志が残してくれたスクラップをコピーさせていただき、スコアカードと照合しながら解読作業を進めています。
日中戦争勃発の翌年の大会ですね。掛川中学の村松幸雄主将(後、名古屋軍でグアムで戦死)が
「武士道精神に則り、正々堂々と試合をせんことを期す」
という選手宣誓を、平安中学が天川清三郎(後、南海でレイテで戦死:そのうち書かれるのでは)で、岐阜商業の大島信雄に投げ勝った大会でした。
他にオリオンズやユニオンズで投げた野村武史もいますね。
興味深いのは、2度目以降の出場校に(元)と書いてますね。
なにやら選挙の当選者のようです。
最後の一枚は26回大会とありますので、1940年、戦前最後の大会です。