ドラフト制度の話になると、常に出てくるのが「職業選択の自由」の話だ。特定の球団に行きたいという選手がいる、入れたいという球団がある。これを阻むのは「職業選択の自由」に反するという論議だ。
しかし、この話は1965年のドラフト制導入の時に決着がついているはずだ。ドラフト制度の導入とは「リーグの繁栄の基本は戦力均衡であり、そのために私利をすてて新人の獲得機会を均等にする」という決め事だったはずだ。そのことが各球団そして、アマチュア野球界にも周知徹底されていれば、こんな話はもとからあり得ないはずだ。「プロ野球を志望するアマチュア選手は、自由に球団と契約することはできない」というルールが46年経っても定着していないのが問題なのだ。
「職業選択の自由」とは、プロ野球選手とかアーティストとかそういう職種に就きたいと思い、努力する自由であって、特定の企業に入ることまで保障するものではない。世の中には入りたい企業に入れない学生などたくさんいる。経済界でも就職協定でいわゆる青田刈りが規制されている。それをしなければ、抜け駆けをして優秀な学生を独り占めする企業があるからだ。入りたいと思うのは勝手だが、受け入れ側の業界の事情や社会情勢などで入れないこともままある。一般社会でもそうした特殊事情は散見される。大騒ぎするようなことではない。
ごく小さな個別の事情を一般論と混同して(混同したふりをして)、あたかもドラフト制度が人権侵害をしているかのように騒ぎ立てるのは、わが国では特定球団の常とう手段だ。しかし、ドラフト制度を導入した時点で、そんな議論は卒業していなければならない。

ドラフト制度は、アメリカのプロスポーツで生まれた制度だ。ヨーロッパでは「契約の自由」に反するとして禁止されている。確かに、この制度自体に問題はないわけではない。しかし、この制度ができた背景には、アメリカンスポーツの構造的な事情があるのだ。
アメリカのプロリーグは、MLBもNFLもNBAもNHLも、すべて下部リーグを持たず、入れ替え制のない閉鎖的なリーグだ。
これに対し、ヨーロッパのプロスポーツは、サッカーをはじめ、下部リーグを持ち、入れ替え制のあるヒエラルキーを持つのが一般的だ。
リーグ戦では、特定のチームが強大になり、人気が集中すると、そのチームに有力選手が集中するようになる。これによってチーム間の戦力格差、経済力の格差は拡大する。
入れ替え制があるリーグでは、弱小チームは下部に転落して新興チームが昇格する。万年テールエンダーは消えて、フレッシュなチームが上がってくる。こうした対流によって、トップリーグは常に活性化される。リーグ戦の興味は、常勝チームの争いだけでなく、弱小チームの奮闘や、入れ替え戦にも集まる。
しかし、入れ替え戦がないリーグでは、格差は広がる一方で、常勝チームと万年下位チームが固定しがちである。勝者敗者の図式が固定すると、リーグは沈滞化する。そこで、戦力均衡が必要となるのだ。アメリカのプロスポーツのドラフト制度はこうした背景で生まれてきた。
→このあたりについては大坪正則『パリーグがプロ野球を変える 6球団に学ぶ形成戦略』に詳しい。






ドラフト制度とは、チーム補強の2つの柱=新人獲得と他チームの選手の獲得のうち、新人獲得をリーグ全体で管理するという考えだ。MLBでは、前年の最下位チームから選手を選択する完全ウェーバー制度をとっている。有望選手は自動的に下位チームが指名する仕組みだ。
この制度の定着によって、弱小チームのファームにはプロスペクト(有望新人)がひしめくようになった。反対に、ニューヨーク・ヤンキース=NYYのような強豪チームのファームには有望選手が少ない。しかしNYYなど金満球団は、すでに実績を上げている有力選手を巨費を投じて獲得するというもう一方の手段が残されている。
今年のアリーグ東地区は、金持ちNYYと、有望な新人を育てたかつての下位チームタンパベイ・レイズ=TBがともにポストシーズンに進出した。弱小でも、資金が少なくても上位に進出できる可能性があることで、リーグは活性化しているのだ。
NYYなど強豪チームは、自らに不利なこの制度を甘受している。閉じたリーグでは、共存共栄の発想が必要だということを理解しているからだ。
以下午後に続く

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