
長野県第三位の都市、上田市。真田氏の居城だった上田城が思い出される。桜の名所、そして城下町の風情が残る。ここも、長野、松本とは町のたたずまいが違う。
上田市内の高校を出たプロ野球選手は6人。派手な実績を残した選手は少ないが、なぜか引退後各方面で活躍している。
丸子実業といえば、松商学園に次ぐ長野第2の野球名門校。

やはり堀場英孝につきるだろう。慶應義塾大学では4年間フル出場。江川のライバルの一人。プリンスホテルでも名を挙げて鳴り物入りでプロ入り。しかしプロではふるわなかった。昨年、長野県議になっている。知名度を生かしてのことと思われる。
4年後輩の桃井進も捕手。プロ入り後は振るわなかったが引退後パリーグ審判。そして昨年桃井も長野県議になっている。
上田市随一の名門校、上田高校。

倉島は、明治大学を経て国鉄、ヤクルトで代打として活躍。引退後はフロントに入り、今は球団専務。
なお、プロ入りはしなかったが、この高校の卒業生にはセリーグ審判副部長だった丸山博(1932-)がいる。王貞治の715号が出た試合の主審だった。
上田市で唯一の私立高校。上田西高校。

この高校は甲子園出場がないが、川井雄大(雄太)が出た。いわゆる松坂世代。先発投手として期待がかかる。他に信濃グランセローズに一時在籍した市川貴之などもこの高校出身。
さらに今年、育成枠で西武に藤澤亨明が入団している(Shibakawaさんご教示)。


非常にマニアックになってきていることを痛感する。
次回は佐久市と佐久地方の高校出身のプロ野球選手を紹介する。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓
丸子実業といえば、松商学園に次ぐ長野第2の野球名門校。

やはり堀場英孝につきるだろう。慶應義塾大学では4年間フル出場。江川のライバルの一人。プリンスホテルでも名を挙げて鳴り物入りでプロ入り。しかしプロではふるわなかった。昨年、長野県議になっている。知名度を生かしてのことと思われる。
4年後輩の桃井進も捕手。プロ入り後は振るわなかったが引退後パリーグ審判。そして昨年桃井も長野県議になっている。
上田市随一の名門校、上田高校。

倉島は、明治大学を経て国鉄、ヤクルトで代打として活躍。引退後はフロントに入り、今は球団専務。
なお、プロ入りはしなかったが、この高校の卒業生にはセリーグ審判副部長だった丸山博(1932-)がいる。王貞治の715号が出た試合の主審だった。
上田市で唯一の私立高校。上田西高校。

この高校は甲子園出場がないが、川井雄大(雄太)が出た。いわゆる松坂世代。先発投手として期待がかかる。他に信濃グランセローズに一時在籍した市川貴之などもこの高校出身。
さらに今年、育成枠で西武に藤澤亨明が入団している(Shibakawaさんご教示)。
非常にマニアックになってきていることを痛感する。
次回は佐久市と佐久地方の高校出身のプロ野球選手を紹介する。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓
コメント
コメント一覧
ところで、我が母校、上田高校出身のプロ野球選手がいたとは、へええ(驚)、お恥ずかしいことに、初めて知りました。同じ信州出身の島岡御大の下で、みっちり鍛え上げられたんでしょうかね。
ちなみに、雄太の出身校である上田西高校から昨年秋のドラフトで1名プロ入りしています。西武の藤澤亨明が上田西高、松本大を経て育成1位で入団しています。西武初の育成指名選手とのこと。
堀場はアマチュア時代は大スターでした。日の出の勢いの西武グループの象徴みたいな存在で、プロでも絶対に成功すると思っていました。
上田西高の情報有難うございます。追加させていただきます。
新人で、あの巨人・角投手からサヨナラヒットを打った時は凄いと思ったのですが。
堀場氏の2年下の代になる青島健太氏(26歳でプロ入り)もせめて大学卒業時点でプロに行って欲しかった選手です。
青島氏も、プロ初打席本塁打という華々しさは共通でしたが。
でも、堀場氏(法律学科)も青島氏(政治学科)も推薦なしの一般受験で入学だから、そこは凄いと思います。
堀場氏は、浪人時代に代々木ゼミナールの慶大模試で成績優秀者冊子に名前があったそうです。
慶應義塾大学時代はリーグ通算安打歴代2位で(125安打、1位は高田繁氏の127安打)、後の岡田彰布氏(早稲田)や、後輩の高橋由伸よりもヒットを打っていたんですね。
上田高校は、丸山博氏、忘れていました。
私世代だと、1987年夏甲子園出場ののエース投手窪田と控え投手金井が印象深いですね。
前にも書きましたが、金井氏は148km/hを計測、中学生だった私は驚愕しました。尽誠学園の伊良部よりも速かったように感じます。
野球をすっぱり辞めて、早稲田大学卒業・現在社会保険労務士、かっこいい生き方に感じます。
窪田氏は一年浪人して、上田高校の次代エースと明治大学入学が1989年で一緒になったはずです。
やはりというか、長野出身の島岡氏の影響で、上田高校と明治大学のパイプがあったんですね。
もっとも、窪田氏は島岡氏の指導を受けられなかった世代ですが。
倉島選手とは、明治大学→スワローズであの石岡投手とコンビを組んだ方ですね。
上田高校出身であること、知りませんでした。
ちなみに、投手の石岡氏は引退後長年スワローズのコーチを務め、親戚である石井一久がドラフト1位でヤクルト入団出来たのは有名です。
>>堀場はアマチュア時代は大スターでした。日の出の勢いの西武グループの象徴みたいな存在で、プロでも絶対に成功すると思っていました。
私も、堀場氏は広島でレギュラーになれると思っていました。
ただし、私の子供時代の記憶だと、プリンスホテル在籍時の堀場選手は、同い年の中尾孝義捕手や1歳下の金森栄治捕手に抜かれていたという印象がありました。
堀場氏も中尾氏も大学を1浪していて、慶應義塾大学を再受験で合格した堀場氏と、再受験が実らなかった中尾氏でしたが、皮肉にもプロでは正反対の結果となってしまいました。
丸山博氏の情報、こちらも初耳情報でしたので、大変参考になりました。ありがとうございました。
wikipediaによると「ベーブ・ルースの通算714本塁打を抜く通算715号本塁打を打ったゲームの球審を務めていた。この際、王が飛び上がって万歳している横でしゃがんでホームランの確認をしている丸山の写真が残っている」なんですねえ。
堀場は大洋ファンから見てもパッとしない控え捕手の典型例みたいな選手でしたねえ…。若菜の控えでその若菜がいなくなったら市川に追い越される始末。有名な遠藤がアキレス腱断裂した試合で、控え捕手なのにその遠藤の代走に出されたという事が全てを物語っているでしょうか。
ちなみに、その1989年夏の甲子園で、元木大介にホームラン打たれた岩崎隆一投手は、創価大学を経て、私が最初に勤務した会社の硬式野球部に入り、30歳過ぎまで社会人野球で投げていました。
二軍のエースだったのが,登録名を川井雄太に変えた直後から一軍で活躍し出しました.
もしかしたら,アマチュア時代の成績を調べようと思う方がいらっしゃるかもしれないので.